自分を好きになると「伝える努力」を無駄と感じない
「誰かを好きな自分」を受け入れるのは強さであり、胸を張って「この人が好きだ」と言える自信がそのまま「その自分が好き」となります。
たくさん生まれる「好き」が心の余裕を生み、相手と居心地よく関われる自分を想像したり、相手との関係で何ができるかを正しく考えたりできると筆者は感じます。
「傷つきたくないから無駄な努力はしたくない」の心のブレーキが外れるとき、思いを伝えたい、伝える努力ができる自分を愛せるのです。
気持ちは届けない限り相手が知ることはなく、知ってもらえたら今度は相手も同じく伝えようと考えてくれます。
届けてもらった愛情をきちんと受け止める力も、「その自分」が好きだからできること。
健全な愛情は同じ気持ちだとお互いに確認できる機会があるから大事にしたくなり、その姿勢がふたりの結びつきを強くします。
「好かれたら好きになる」恋愛がうまくいかないのは、「誰かを好きな自分」を受け入れない限り向けられる愛情もまたまっすぐ受け止められないからで、せっかく生まれた縁をどうするか、相手任せにしていては望む愛情は手に入らないのが現実です。
誰かを好きになることは自分を好きになること、それは正しく自尊心を育てるのだと、忘れずにいたいですね。
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好かれる自分を見てから好きになりたい、それが正解だと思っているといざそうなったときに予想と反して「この人を好きになれない自分」が出てくることがあります。
相手の好意をベースにすると今度は「応えられない」ことに悩み、やっぱり関係はうまくいきません。
好かれるのを待つのではなくまず自分が好きになる姿勢が、いつだって自分のためなのですね。