NYの「トニーズピザ」でピッツァ職人になる
ケネディの死もあり、ピッツァ職人をめざした。
住んでいたNYのアパートの1階にあったピッツァハウス「トニーズピザ」に弟子入り。
イタリア人トニーが焼くピッツァを毎日食べていた藤原青年は、ピッツァ職人になった。
憶測だが、トニーはイタリアの職業訓練学校で料理を学んだのではないか。
第二次世界大戦前、イタリアの首相ムッソリーニは、他国に移民するためには手に職をつけておくべきだと考え、国立料理学校エナルクをイタリア国内に数校設立した。
もしかするとトニーは渡米前、エナルクで料理を学び、NYでピッツァを焼きはじめたのではないか。筆者の勝手な想像だけど。
トニーズピザでピッツァの作り方を学んだ藤原青年は帰国。
1968年、「トニーズピザ」を代々木にオープンした。
いまあれば、ナポリの石窯職人を呼び寄せ、薪で焼く石窯を作ることができる。
ところが、当時日本人の大半が、ピッツァを食べたことも見たこともなかった。
石窯など夢のまた夢。パン焼き窯メーカーにピザ窯を特注で作ってもらった。
「ピッツァがどんなものかを説明するだけで大変だったよ」
もっと大変だったのが、チーズの確保だった。
トニーは、アメリカ産のモッツァレラを使っていたと思われる。
ところが、当時アメリカのチーズは日本に輸入されていなかった。
イタリア産もまだ入っていなかったはずだし、国内のチーズメーカーもまだモッツァレラを作っていなかったはずだ。
面白い話がある。
料理人向けの料理雑誌『専門料理』が、1973年5月号でイタリア料理特集を組んだ。
イタリア料理に使ういろいろな食材がモノクロ写真で掲載された。
モッツァレラも載っているのだが、入手がむずかしく、〈肉まん〉が代用されたというのだ。
豚まんともよばれる、白い肉まんだ。
撮影に立ち会った料理人から聞いた話なので、真実だと思う。
掲載された雑誌を見せてもらったが、肉まんなのか、モッツァレラなのか判別できなかった。