「司法書士は見た! 怖~い相続事件簿」シリーズでは、住まいにまつわる問題のほか、終活や相続の支援にも対応している認定司法書士が現場経験もふまえながら、よくある相続トラブルについて解説します。

今回のテーマは、遺言書を書く時期です。13通もの遺言書が残されていた事例を交え、遺言書を書く理由について考えていきます。

70代の男性から、こんな相談を受けました。

遺言書を書こうかなと思うけど、気持ちだって変わるし、環境も変化していくので踏ん切りがつきません。

70代になって、人から優しくされるとうれしくて、自分でも信じられないほど何でもしたくなります。物をあげたり、お金を渡したり、何かを買ってあげたり。

だから遺言書を書こうと思っても、気持ちがコロコロ変わるのでタイミングがわかりません。

遺言書を書くのは思い立ったが吉日!

遺言書を書くタイミングは難しいですね。

書いたらひと仕事終えたと安堵しますが、そのあとにも資産は変化をするし、気持ちも変わるかもしれません。どのタイミングで書くのがいいか、わからなくなりますね。

ただ、いちばん悲しいのは、遅すぎて準備できないまま自分が亡くなってしまうことです。せっかく築いた財産は、自分の意思で分配したいと思いませんか?

ですから、遺言書は思い立ったら書きましょう! 気持ちが変われば、また書き直せばよいのです。

年を重ねるごとに「書くと本当に死ぬのでは?」と感じ、縁起でもないと心配する方もいます。

若いころよりも「死」を身近に感じてしまうのでしょう。でも、そうして避けていると、書かないまま亡くなってしまうという残念な結果になってしまいます。

日本人の財産の大半は不動産。お金はきれいに分けられますが、不動産は切り分けられません。

売りたい人、住みたい人、貸したい人、思いもそれぞれであり、相続人が2人以上いれば揉める原因になります。

いつも私は、こうお伝えしています。

「残された人たちが、遺産で争うのはつらいもの。ぜひ遺言書は準備しておいてくださいね」

「一族が子孫繁栄していくために、遺産はできるだけ残そう!」と考える人は昔から多かったことでしょう。

最近は、少し違う考えも出てきたように感じます。自分が亡くなった後のことより、生きている間のQOL(クオリティ・オブ・ライフ、人生の質)を上げたいと思う人が増えているのです。

がんばってきたのだから「今を楽しみたい」「今を快適に過ごしたい」、そして「周りの人に大切にされたい」とQOLについて考えるのは当然のことです。

資産を形式的に遺(のこ)すより、自分の人生とそこに前向きに関わってくれる人に有意義に使いたいと思うのは、ある意味で健全と言えるでしょう。

ただ、生きている間のQOLを優先にしたばかりに、自分が亡くなった後のことまで十分に考えていたのだろうか、と思われるケースもときには起こりうるのです。

身を粉にして資産を築いた平山すえさんの決断とは?

83歳の平山すえさん(仮名)が、次女の僚子さん(仮名)と事務所に来られたときのことです。

「母は『遺言書を書きたい』と言っているんです。かわいそうなんです。だから助けてあげてください」

僚子さんは、悲痛な面持ちで前のめりにしゃべります。

すえさんは、長年ご主人と定食屋を営み、資産を夫婦で築いてきました。朝から晩まで、それこそ出産直前まで働き、子どもが生まれたあとも背中におぶって働いてきました。

人を雇うと、それだけお金も出ていきます。夫婦でがんばれば、自分たちの資産はどんどん増えていきます。

中学を卒業して働き出した2人には、3人の子どもたちを大学に通わせたい一念もあったのでしょう。まさに「身を粉にして」がんばってきたのです。

おかげで、貸しビルを3棟も所有することができました。すえさん夫婦はぜいたくもせず、旅行にも行かず、着る物も割烹着の下はジャブジャブ洗えるシャツが数枚あればいいといった質素な暮らしを続けてきました。

目の前に座っているすえさんは、どこにでもいる普通のおばあちゃん。言われなければ、3棟の貸しビルオーナーである資産家だとは気づかないかもしれません。

娘の僚子さんが続けます。

「これから旅行でも楽しもうというときに、父が心筋梗塞で急に亡くなってしまって。お店を閉めたら、母はひとりぼっちで。弟が『俺は長男だから』と家に引きとったのですが、あまりにもひどい仕打ちだったらしくて、今は姉を含めた子どもたち3人で母を4カ月ずつそれぞれの家で面倒見ています。

そんな生活がもう2年も続いていて。それでも母は、私がいちばん優しいって。ほかの2人から受けた仕打ちを教えてくれるのですが、それはそれはひどくって」

僚子さんはいかに弟や姉が母親をないがしろにしてきたかを、涙ながらに訴えます。すえさんは、ただじっと黙って座っていました。

「私にこんなにお世話をしてもらっているから、『全部の遺産を僚子に』って言ってくれるんです。それなら遺言書をつくってということになって。本当に姉も弟も、母を引き取っている間も放置。遺産目当てで、ただ母が死ぬのを待っているかのようです。ひどいんですよ……」