ユーザーから投稿された「キニナル」情報を検証すべくはまれぽが体を張って調査!

今回のテーマは…

<横浜のココがキニナル!>
 昭和歌謡の不朽の名曲『ブルーライトヨコハマ』で「灯りがとてもきれい」と歌われた街はどこだったのか気になります。作詞をした橋本淳先生に直に聞いていただけないでしょうか(羽後人さんのキニナル)

あの名曲は、実際に横浜のどこを歌ったのだろうか?

横浜を代表するご当地ソング『ブルー・ライト・ヨコハマ』。横浜市の開港150周年を記念し実施した「ご当地ソングアンケート」でも、2位の『赤い靴』に大差をつけて第1位だったという。

「街の灯りがとてもきれいね、ヨコハマ。ブルー・ライト・ヨコハマ・・・」とその歌い出しを、多くの人が自然に口ずさむことができるのではないだろうか。口ずさみながら、投稿者と同じように、実際に横浜のどこを歌ったのだろうとキニナっている人も多いはず。

とはいえ、作詞家の橋本淳先生に、直接お話をうかがうなんてできるのだろうか。不安をおぼえた筆者は、記事の依頼を保留した。ところが間もなく、編集部・山岸から「橋本先生とアポ取れました!」との連絡が。本当に!? ・・・と、うれしさと同時に、かすかに不安をおぼえながら、取材当日を迎えた。

 

『ブルー・ライト・ヨコハマ』発売当時の横浜について話す橋本淳先生

東京からわざわざ横浜まで来てくださった橋本先生は「横浜に来たのは久しぶり。ちょっと遠かった」と言いながら、海を目の前にした山下公園で「ブルー・ライト・ヨコハマ」を作られた経緯を話し始めてくれた。
 

『ブルー・ライト・ヨコハマ』が誕生したころの横浜

「歌ができてから50年近く経てば、社会的背景が全然違う。『ブルー・ライト・ヨコハマ』は、今ここにある横浜と全然違う横浜の歌なんです。わざわざここまで来てお話するなら、当時と今の何が違うのかということをお話しするのが、大事なことだと思う」と橋本先生は、当時の横浜について語り始めた。

中・高校生だったころ、友人が鶴見に住んでいて、横浜にはよく遊びに来ており、横浜のおもしろさや魅力を感じていたという先生。『ブルー・ライト・ヨコハマ』ができた背景には、当時の横浜の持つ力が大きな要素になっているという。