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子どもに親の言うことを聞かせたいとき、子どもの行動をコントロールしたいとき、褒美をあげてみたり罰を与えみたりすることがあります。いわゆる“飴と鞭を使った躾”ですね。でも、これって効果があるのでしょうか?

「テキトー母さん」流子育てのコツの著者の立石美津子がお話します。

飴と鞭とは

“飴と鞭(アメとムチ)”という言葉があります。相手に意欲を持たせたり、行動をコントロールするとき望ましいことをしたら飴(報酬)を与え、望ましくないことをしたら鞭を与えることです。

もともとは1880年代のドイツのビスマルクのとった国民懐柔策で、一方では弾圧法規を制定するとともに、一方では国民生活に役に立つ政策を実施したことからきています。鞭を前者に、飴を後者に例えた言葉です。

飴の効果(餌でつる躾)

具体例でお話しましょう。

習い事のサッカーの練習に行くのを嫌がっている子どもがいました。親は「なんとしてでも行かせたい」と思い、「帰りにコンビニで好きなお菓子買ってあげるから行きなさい」と毎回、甘い物で釣っていました。

まさに「飴で釣る躾」。そして、これが動機で子どもはサッカーに行くようになりました。

けれども…

次第に親は「いつまでもお菓子で釣って通わせるのはまずい」と思うようになりました。

そこで、ある日「今日からは帰りにコンビニに寄るのを止めることにします」と伝えました。

その途端、子どもはサッカーに行かなくなってしまいました。「お菓子がないとやらない」という習慣が付いてしまったのですね。

「頑張っているね」と言葉をかけたり、励ましたり抱き締めたりなどの言葉の報酬(飴)はいくらでもかけていいのですが、それが「お菓子買ってあげる」「ゲーム機買ってあげる」などの“物欲を満たす物”になってしまうと“餌ほしさに行動をする”ことから、いつまでも脱却できなくなりますので、注意が必要ですね。

鞭の効果(罰を与える)

同じくサッカーの練習を嫌がっている子どもがいました。親は練習を拒否していることに対して罰を与えようと考えました。

そして…

「サッカーに行かないんだったら、もう二度とお菓子買ってやらないよ」

「夕飯抜きよ」

「お誕生日プレゼントもクリスマスプレゼントもなしよ」

と鞭(ムチ)を与える言葉をかけていました。更にぐずる子を叩くこともしていました。これで、子どもは恐怖を逃れるために練習に行くようになりました。

けれども、「やっぱり厳しくして罰を与えた方が子どもが反省した」と思っているのは親の錯覚なのです。

子どもは「サッカーをさぼる態度はよくないことだから、これからは改めよう」とは残念ながらなりません。ただ親が怖いから従っているだけなのです。罰がないと元に戻ってしまいます。

もしそんなに嫌がっているのならば、周りのお友達がみんながやっているからとか、流行りのスポーツだからとか、ママ自身がサッカーファンで続けさせたいという他人主体の軸を持たないで、「子ども自身が望んでいることなのか」と振り返って、続けること自体を考え直してみることも必要かもしれませんね。

かつてあった学校での体罰

別の2つの例を挙げてみましょう。

学校では昔はよく、給食を残したり、遅刻をしたり、私語をしたら廊下で立たせることが行われました。

けれども今は体罰として行われていません。世の流れかもしれませんが、子どもは反省するどころか「恥ずかしい」と思い、先生に対して反発の心しか持たなくなるからです。

もし、パソコンのキーボードを打つたびに電流(罰)が流れたらどうでしょう。

パソコンには向かいたくなくなりますよね。でも、実際、電流がながれるパソコンは存在しません。ボタンを押しても「自分が思ったような作業ができない」ことを通して正しい操作を学んで行きます。

これと同じで人は残念ながら、罰を与えられて「頑張ろう」とはならないのですね。