子どもが文字に興味を持ち始めると、絵日記やお手紙、作文を早い段階から書かせたくなりませんか?
でも、幼い頃の作文指導はもしかして、自由な発想力や表現力の芽を摘んでしまうかもしれません。『1人でできる子が育つ「テキトー母さん」のすすめ』の著者の立石美津子がお話しします。
お絵描きも絵日記も作文も、心の奥から湧き出る思いを吐き出す表現活動。どう感じたかは子どもの自由です。そんなとき「これこれこういう風に書きなさい」とつい“指導”したくなります。
でも、介入し過ぎると子どもの表現力を潰したり、文章を書くことが嫌いになってしまうこともあります。
書いてある文章だけで判断しない
絵日記に “遠足の思い出”。「遠足で動物園に行きました」の一行だけ。だからといって、子どもが何も感動していないかというと決してそうではありません。「連れて行った甲斐がない」なんて思ってはいけませんよ。
猿を見て感激し、外で食べるお弁当を美味しいと感じ、電車の窓から見た景色に感動していたかもしれません。でも、感じたことを上手に言葉で表現することはまだまだ出来ません。
文章化するなんて、更にハードルが高くなります。
モジモジしている子どもを見て、「これこれこういう風に書いてみなさい」と指導し過ぎると、この先、自由な表現ができなくなってしまうかもしれません。
誰のための指導?
保育園や幼稚園で、子どもたちが描いた絵を壁面に貼り出すことがあります。これで、保育士が悩むことがあります。
保育士は子どもの絵をそのまま貼り出したくても、お迎えの際、保護者が他のクラスの絵や他の子とわが子の絵を比べて、“担任の指導力の良し悪し”を評価をすることもあるため「良い作品を描かせなきゃ」と思ってしまう保育士も出てくるようです。
けれども、遠足に連れて行く目的は“普段出来ない体験をさせる”こと。作文や絵などアウトプットが目的ではありません。絵を描かせるために遠足に行くのではないのです。保護者の皆さんにもその辺を理解してもらいたいですね。
動物園の思い出
ビジネスの世界では“結論を先に相手に伝える。そして、その後に詳細説明”するのが合理的です。けれども、作文となるとそうとも限りません。読み手にとって面白いものが評価されます。
では、つまらない文章になってしまうのは、どうしてなのでしょうか?
動物園であった光景
“ハシビロコウ”という鳥が上野動物園にいます。
檻には「危険ですので、決して網を引っ張ったりつかんだりしないでください」と、看板がありました。
後日、小学校でお題“上野動物園の遠足の思い出”の作文を書くことになりました。そこで、担任の先生から「いつ、どこで、誰が、どうした」の順で書くように指導が入りました。
- (いつ)○月○日に
- (どこで)上野動物園で
- (誰が)僕が
- (どうした)動物を見た
すると、こんな作文が出来上がりました。
“5月10日に遠足で上野動物園に行きました。僕は熊、ライオン、象、ハシビロコウを見ました。楽しかったです。 おわり”
このような、ありきたりでつまらない作文は、読む側の気力を失わせます。ここでもし、「感想文を自由に書いてみて」とだけ伝えていたら、こんな風に書いたかもしれません。
“遠足の行き先、家族ともよく行ったお決まりの上野動物園です。熊、ライオン、象…よくある動物をだいたい一回りして「ああ今年の遠足も去年と同じ感じだなあ」と思ってしまいました。
そろそろ帰る時刻が近づいてきたその瞬間、僕の目に飛び込んできたのはハシビロコウ。聞いたことのない名前の鳥。