私の負けず嫌いは、障害に関係なく褒められたかったから
幼いころは、とにかく負けず嫌い。でも、他の子の負けず嫌いとは少し違っていたと思います。
私は、みんなと同じこと、例えば、歩く、食べる、字を書く――それだけでも褒められることが極端に多かった。ただ、どうして私だけが褒められるのだろうと不思議に思っていました。
ある時、そこには「あなたは障害者だから何もできない」という前提があるからだと気づいたんです。
そう考えると、褒められていながらも、どこか見下されているような、複雑な気持ちでした。
で、ここからが、負けず嫌いの本領発揮です(笑)。
純粋に結果としてみんなよりも秀でていれば、障害者ということに関係なく褒められる。それで褒められたなら、自分も素直に受け止められるんじゃないか――。
だから、クラスで一番勉強ができるようになりたい、一番字が綺麗に書けるようになりたい、そんな風に思うようになったんです。
担任の先生もクラスメイトも特別扱いはしなかった
小学校時代、1~4年生を担任してくれた先生の基本方針は、できるかぎり私の手伝いをしない、まわりの子どもたちにもなるべく手伝わせないというものでした。
例えば帰りの支度なんかも、私は全部自分でやるので相当な時間がかかってしまうんです。
そうしたらある時先生が、クラスメイトが私を待っている間に「ゴミを5つ拾ってゴミ箱に捨てよう」と提案したんです。
けれど先生は「乙武くん以外のみんなは」と言わなかったので、あろうことに私は自分の支度を中断してゴミを拾ってしまったそうなんです。しかも口で……。
普通ギョッとしますよね。でも、先生は驚きはしたものの、それを止めることはしなかったんです。私ができる精一杯のことをしているだけなんだから、と。
先生が私を特別扱いしなかったから、クラスメイトも「僕らは僕らの、乙武は乙武のベストを尽くす。それは、同じことだから」という感覚に、自然となっていったんだと思います。