いちばん心が揺らいだのが湖のシーン
――サトシとお父さん、お兄ちゃんの3人のシーンもすごく素敵で味わい深いものがありましたが、あの一連の撮影で印象に残っていることは?
脚本を読んだときに、いちばん心が揺らいだのがあの3人の湖のシーンでした。
監督とも「大事なのは遺された人たちなんじゃないか? その人たちがどう再生していくのか? どう成長していくのか? そこなんだよ! 母親が亡くなった後なんだ!」っていう話をしましたね。
でなきゃ、受け継ぎ、伝えていくこの作品のテーマを描いたことにならないし、それだけにあの琵琶湖の一連はすごくいいシーンだなと思った記憶があります。
そしたら、撮影が進んでいくうちに、倍賞さんが「ね~監督~、あの湖のシーンあるじゃない。あそこはみんなスッポンポンがいいんじゃないの?」って言い出して(笑)。
――倍賞さんからの提案だったんですね(笑)。
そう。で、「蓮司さんもですか?」って聞いたら、「そうそうそう。脱いじゃいなさいよ。素敵じゃない」って。
でも、考えてみたら、母のいない世界でスッポンポンになった三人[NW(航1] の男が湖の中に入って胎児みたいな格好をするわけですよね。
その光景が単純に面白いし、それを母ちゃんが空から見ていたら素敵だな~と思えて。なので、監督に相談されたときも僕は迷わず「やりましょう」と言って、スッポンポンになったんですけど、その方が笑って泣けるし、自分の演技じゃ全然泣かないけど、僕は実際、天国に逝ったお母さんがお父さんのシャツのボタンを外してあげるあの手つきやそのときの「お父さんも泳いでらっしゃい」のひと言が大好きで、思い出すといまでも涙が出るぐらい、いちばん泣けるんです。
言葉はすごく少ないんだけど、その関係性がはっきり伝わるし、あっ、これが役者さんの仕事なんだって思ったんです。ただ、ボタンを外してあげて「泳いでらっしゃい」って言う。
それだけでもう……思い出すだけでグッと来ちゃいます。
倍賞さんが本当に素敵でした
――倍賞さんが本当に素敵でした。
でも、倍賞さんは実は高所恐怖症で。高台から親子3人が夜になるまで街を見おろして会話するシーンを撮影するときも直前まで「怖い、怖い」ってずっと仰っていたんです。
なのに、「はい。回します、本番」って言ったら、バーと走っていって、せり出したいちばん怖いところに立たれたんですよ。その倍賞さんの覚悟はスゴかったですね。
でも、あのシーンでもお母ちゃんはサトシに対してはすっごく喋るのに、お父さんには「ありがとう」のひと言ですよ。「お父さん、ありがとう」って、ただそれだけ。
で、そのとき黙って聞いていたお父ちゃんもお母ちゃんが亡くなったときは逆に足をたださすっているだけなんです。だけど、それで十分、夫婦の関係が分かるんですよね。
――全編に流れる安田さんのナレーションも、観ている私たちの世界との距離感をいい意味で感じることができて、すごく印象的だったんですけど、ナレーションを録られたときは、演じられていたときとはまた違う距離感で作品を見つめられていたのでしょうか?
ナレーションはクランクアップの日にまとめて録ったものをほとんど使っていると思うんですけど、僕、監督に「サトシが母ちゃんに『ありがとう。さよなら、愛してる』って言うお別れのシーンかどこかで「『ごめんなさい』というひと言を入れたい」ってお願したんですよ。
失ってしばらく経ったらその想いはなくなるかもしれないし、人が亡くなるのは致し方ないこと。ただ、覚悟して看取っていても、介護疲れもあるだろうし、疲れて何もしてあげられないときに“ごめんなさい”って思うこともあるような気がしたの。
だから、その「ごめんなさい」というひと言を入れたいな~と思って監督に相談したら、「ナレーションで入れましょう」と言っていただいて入れることができたんです。
――安田さんの気持ちがすごく伝わってきました。
実は知り合いのある方が親御さんをガンで亡くされて、その人と撮影中に電話で話をしていたら彼女が「私ね、“ごめんなさい”って思ったの」って言われて。
そのときに“あっ、そういう感情もあるんだ”ということに気づいたんです。
――そういった安田さんが実際に聞かれたことや経験されたことも作品に反映されているんですね。
そうですね。それこそ、母ちゃんを病院で看取るシーンの撮影のときも、お医者さんを演じられる役者さんとは初顔合わせだし、なんかしっくりこない、しっくりこないと思っていて、テストのときからずっと、このお医者さんとの関係をどう処理すればいいんだ?って考えていたんです。
で、そのときに思い出したのが、ウチの父親が胃ガンの手術をしたときのことで。僕はまだ30代だったんですけど、ストレッチャーで運ばれていく親父を見ながら、自分でもワケの分からない涙が出てきてね。
でも、ああいうときは、手術に向かう先生に対して全面的に“おねがいします”という気持ちになるんですよ。自分じゃどうすることもできないから。
ウチの親父の胃を切ってくれるのはその人しかいないから、ストレッチャーに乗った親父を見ながら、涙が出るぐらい“お願いします”って思ったのね。
そのときのことを、あの病院のシーンでは思い出して、お医者さん役の役者さんはそこにいただけなんだけど、ずっとそばにいてくれたのはあの町の病院のお医者さんだったんだよな~と思った瞬間、自然とああいう芝居になっちゃったのね。
でもそれぐらい、セリフのないあのシーンでお医者さんとの関係を成立させたかったんです。