男子にとって母親は絶対的な味方

――先ほど「男子にとって母親は絶対的な味方」って言われていましたし、安田さんが昨年の12月8日の誕生日のとき、ツイッターに「産んでくれて、ありがとう」というお母さんへのメッセージを書かれていたのも拝見したんですけど、今回のサトシ役を演じたことでお母さんとの接し方が変わったりしましたか?

前にも取材で「撮影中、自分の実体験や親のこと思い出しましたか?」って聞かれたときがあったんですけど、不思議とまったくなかったんですよ。

全然思い出せなかったの。もう、作品のことしか考えていなかったんですよね。でも、この作品は観た後にいろいろ自分の親のことを思い出したし、観て教えられたこともあって。

ウチの母親は毎年「誕生日、おめでとう。身体に気をつけて頑張ってください」と書いた手紙を送ってくれるんですけど、去年の手紙には「身体に気をつけて、私を楽しませてください」と書いてあったんですよ。

そのときもいろいろと思うことがあったけれど、正直、母ちゃん、年とったな~と思ったので、これまで以上に大事にしたいな~とは思いました。

――お母さんとは仲はいいんですか?

悪くないですよ。でも、あまり話さないですね。兄貴の方が話すんじゃないかな。

兄貴は北海道で頑張ってくれていて、親のことは兄貴がやってくれているんです。ただ、僕も「北海道室蘭市本町一丁目四十六番地」という本を書いたときに、自分が産まれる前のことや父と結婚する前の話は母から聞きました。

――本を書くような機会があると、いろいろ聞けていいですね。

そうですね。あの~本人は否定するんだけど、ウチの母はカレーの鍋をこぼした瞬間に「私じゃない」って言うような人です(笑)。僕が母のことでいちばん覚えているのはそれですね。

――自分がこぼしたのに?(笑)

こぼれた瞬間に「私じゃない!」って言っちゃう(笑)。

でも、それが僕にとってはすごく好きな母の尊敬できる一面で。

どう産まれて、どう育って、父と出会ってという話を聞いたときに、その言葉がすぐ出てくる母のことがすごく分かったんです。決して泣かない人だし、泣いているのをあまり見たことがない人でしたしね。

実母との思い出

――その血をちゃんと受け継がれているわけですね。

『母を亡くした時、僕は遺骨食べたいと思った。』 2月22日(金)公開 ©宮川サトシ/新潮社 ©2019「母を亡くした時、僕は遺 骨を食べたいと思った。」製作委員会 配給:アスミック・エース

どうですかね。この映画ではいっぱい泣いてますけど(笑)。

母は北海道の夕張で産まれて、小学校まではずっと夕張の商店の娘だったのね。

なんだけど、夕張の炭鉱がダメになったら、すべて貸し付けでやっていたからお金を返しきれなくなって、お店が潰れちゃったんですよ。しかも、私の母の婆ちゃんと爺ちゃんが離婚してお金がまったくなくなっちゃったから、母は中学校にはほとんど行けてなくて、中学3年のときには弟と妹の面倒を見ながら新聞配達をやっていたんですね。

でも、田舎は優しいところがある反面、家庭の事情なんかも町中に知れ渡ったりするので、母が地元で就職しようとしたときも「おたく、母子家庭でしょ。

母子家庭の子はお金がないので盗みを働くかもしれない。だから、あんたは働かせられない」って言われたみたいで。

母はそれがいちばん悔しかったことらしいですよ。それで夕張を出て室蘭に来て、父と出会って結婚するんですけど、「いちばん悔しかったことは何?」って言ったときに、その話をしたぐらいですから。でも「いちばん嬉しかったことは何だ?」って聞いたら、「あんたと兄ちゃんを産んだことだ」って言ってくれたんです。

――嬉しいですね。

そうですね(笑)。そんな母ですね。だから、カレーの鍋をこぼした瞬間に「私じゃない!」っていう言葉があの人の人生、あの人を作ってきたものを表しているような気がしたし、すごく尊敬できるいい母だな~と思います。

――一緒に何かしたことで、このお母さんの子供でよかったなと思ったことはあります?

僕、中学校3年の高校受験のときに、いまから考えたらストレスだったと思うんですけど、お腹が痛くてお腹が痛くて、どうしようもないときがあったんですよ。

それで夜中に救急病院に行って浣腸してもらったんですけど、それでも痛みが全然治まらないわけ。だから、15歳なので恥ずかしかったけど、帰宅後、2階の自分の部屋から1階で寝ている母親のところに行ってもう一度「痛い」って言ったんです。

そしたら、「おいで」と言って添い寝をしてくれて、その間ずっと後ろからお腹に手をあててくれて、そのおかげで眠ることができたし、朝になったら痛みがとれていたんです。

ああ、手当てってこれか?って思いましたよね。いまの質問で思い出すことはそのときのことですね。あっ、この人が母親で、だから僕は産まれたんだ。だから、母の手で僕の痛みはひいたんだな~という実感がありましたからね。

――最後に。劇中にサトシや塾生たちがそれぞれ自分の家のカレーを自慢するシーンがありましたが、あんな風に自慢したいお母さんの料理はなんですか?

飯寿司ですね。北海道の人はそれを自宅で作るんです。

母も鮭の飯寿司を毎冬作って送ってくれるんですけど、とても美味しいんですよ。いちばん好きです。でも、「今年で最後かもね」って言ってました。ちょっと寂しいですけど、作るのは大変だから仕方がないですね。

キャラクターを作り上げていく過程やそのシーンに込めた想いとこだわり、撮影中の貴重なエピソード、自身のお母さんのことまで熱く、時折ユーモアを交えて話してくれた安田顕さん。

そのコロコロ変わる表情やフレンドリーな物腰が、演じられたサトシと重なって見えたのが印象的でした。映画を観て、そんな彼のリアルなエモーションを全身で感じてみてください。

映画ライター。独自の輝きを放つ新進の女優と新しい才能を発見することに至福の喜びを感じている。キネマ旬報、日本映画magazine、T.東京ウォーカーなどで執筆。休みの日は温泉(特に秘湯)や銭湯、安くて美味しいレストラン、酒場を求めて旅に出ることが多い。店主やシェフと話すのも最近は楽しみ。