子どもに「優しい子になりなさい」と言って、優しい子に育ってくれたら誰も苦労はしませんよね。
「他人を思いやれる人に育ってほしい」。そんな風に思っていながら、無意識にかけている大人の言葉や姿勢が、そうではない子を育ててしまっていることがあります。
『発達障害に生まれて』のノンフィクションのモデルの立石美津子がお話しします。
鍵盤ハーモニカに小さな穴
年に一度の幼稚園の音楽発表会、クラスの日頃の頑張りや成果を見せるイベントです。素晴らしい演奏をするためには、勝手な行動をとる子、足を引っ張る子どもは担任にとってもクラスメートにとっても困ります。
鍵盤ハーモニカの演奏で、ある子どもが何度注意しても自分のパートでないところで好き勝手に吹いてしまう状態でした。
その子だけ楽器を与えないとか、舞台に上げないなんてことは決して出来ません。
悩んで悩んで何とかならないかと考えた担任は、苦肉の策でホースに小さな穴を開けました。こうすれば空気として漏れてしまい、音が出ないようになるからです。
「運動会を休んで」と言われ…
足の遅い子がいました。クラスの足を引っ張っていました。運動会でのクラス対抗リレー、その子が入ると絶対に優勝できないことが予想されました。
その子の親が他の保護者から「あなたの子がいると負けるから、運動会の当日は休んでくれない?」と言われていました。親子は運動会を欠席しました。
これを言ったママの子はいつも家で、「〇〇君は足が遅いから、〇〇君のせいでうちのクラスがいつも負ける!」と親に訴えていたようです。本来はそれを言ったわが子を諭すのが親の役割だったのですが、同調してしまったママでした。
鍵盤ハーモニカに穴を開けてしまった担任、運動会を盛り上げたいと考えた保護者の立場になると「わからないでもないな」と感じます。
けれども、幼いうちからこのような成果主義の中で育つと、どんな思考回路ができ、どんな大人に育っていくでしょうか。
子どもに根付く“誤った価値観”が、子ども自身を苦しめる
このような姿勢を大人が見せていると、“生産性の低い人間を蹴落としてでも成果を上げることが大事”、“能力が劣る子は存在意義がない”という価値観が子どもに沁み付いてしまう気がしてなりません。
“クラスの出来栄えが一番”“わが子が一番”と思う親心はわかりますが、将来子ども自身を追い詰めることにもなりかねません。
どうしてかというと、これから先、自分だって事故に遭ったり病気になって弱者になる可能性もあるからです。自分が弱者になったとき「自分は価値のない人間、生きていても仕方がない人間」と自分を貶めるようにもなってしまうからです。