第一位 新美南吉『屁』

 

屁。

そのものずばり、タイトルが『屁』です。一位も納得でしょう。

作者は『ごんぎつね』で有名な新美南吉。まず、書き出しを読んでください。

 

石太郎が屁の名人であるのは、浄光院の是信さんに教えてもらうからだと、みんながいっていた。

この時点で、もはやこれは屁の話以外のなにものでもないのだ、という事実が突きつけられます。

 

なにしろ是信さんは、おしもおされもせぬ屁こきである。

「おしもおされもせぬ屁こき」という言葉のパワーが、とてつもない。「キリンが逆立ちしたピアス」のリズムで言いたい。

 

しかし『ごんぎつね』の作者だけあり、『屁』はけっこうほろ苦い物語です。

舞台は田舎の小学校。小学生の石太郎は、ところかまわず屁が出てしまう体質のため、「屁えこき虫」と呼ばれいじめられている弱気な少年です。

石太郎が授業中に放屁すると、遠助(とおすけ)という同級生が「あっ、くさっ、あっ、あっ」と騒ぎたて、屁の臭いから前日の夕飯を当てるのがクラスでは恒例です(そんなことを恒例にするな)。遠助の屁ソムリエとしての資質は別として、石太郎はそのせいでみんなの晒し者になっているのでした。

そんなある日、同じクラスの春吉くんという少年が、授業中に放屁してしまいます。しかし……

 

いつもと同じさわぎがはじまった。屁えこき虫の石太郎が屁をはなったときと、寸分ちがわぬことが。

春吉君は、どうしていいのかわからない。もう、なりゆきにまかすばかりだ。

やがて古手屋の遠助が、きょうは大根菜屁(だいこんなっぺ)だといった。なんという鋭敏な嗅覚だろう。たしかに春吉君は、けさ大根菜のはいったみそしるでたべてきたのである。

遠助の屁嗅ぎ分け能力がすごすぎて汚い『神の雫』みたいになっていますが、それはさておき、クラスの疑いの目はいつものように石太郎に向けられ、石太郎も特に否定もせず、みんなの笑いものになることを受け入れたのでした。

春吉くんは「くやしさのあまり、なきたいような気持ちになって」思い悩みます。本当は放屁したのは自分なのに、石太郎の仕業ということになってしまった。

そのことに、春吉くんは言い知れないもどかしさを感じるのでした。

 

だいいち、どういっておかあさんに説明したらいいのか。雑誌がほしいとか、おとうさんのだいじな鉢をわってしまったとかならば、かんたんにじぶんのなやみを知ってもらえるが、これはそんなやさしいものではない。複雑さが、春吉君の表現をこえている。屁をひった話などしたら、まっさきにおかあさんはわらいだしてしまうだろう、とても、まじめにとってくれぬだろう。
だが春吉君は、それからのち、屁そうどうが教室で起こって、例のとおり石太郎がしかられるとき、けっしていぜんのようにかんたんに、それが石太郎の屁であると信じはしなかった。だれの屁かわからない。そしてみんなが、石だ、石だといっているときに、そっとあたりのものの顔を見まわし、あいつかもしれない、こいつかもしれないと思う。
うたがいだすと、のこらずのものがうたがえてくる。いや、おそらくは、だれにもいままでに、春吉君と同じような経験があったにそういないと考えられる。

いかがでしょうか。

重要なのは、春吉くんは別に石太郎に罪悪感を感じたわけではないということです。屁を通じて、人が大人になるということの一端を感じ取ってしまう、そういう話なのです。ぜひ、一度読んでみてください。

 

本文を読む(青空文庫)

 

 

以上、三作品を紹介しました。

ほかにも屁を取り扱った作品や、屁を取り扱っていない作品もたくさんある青空文庫。ぜひ利用してみてください!