我が子が通う幼稚園、保育園、学校に発達に遅れがある子がいたら?「一緒に過ごすことで足を引っ張られるのではないか」と心配になる一方、「世の中には様々な人がいることを学ばせたいので、共に過ごす体験を通して成長してほしい」とも思い、悩むところです。

『発達障害に生まれて』ノンフィクションのモデルの立石美津子がお話しします。

人は本能的にどこで教わったわけでもないのに、異質なものを排除する傾向があるように感じます。苛めなどはそれにより起こるのかもしれませんね。

もしかして、生まれたときから一緒に生活をしていたら、世の中にはいろんなタイプの人がいることが体験的にわかるのかもしれません。

思いやりのある子どもに育てるには

親は我が子に対して「思いやりの心を持てる子に育ってほしい」、「優しい子に育ってほしい」と思います。けれども、口を酸っぱくして「思いやりの心を持ちなさい」と諭しても、簡単に身に付くことではありません。実際の場面で経験することが必要になってきます。

さて、習い事の場合は、保護者は「水泳の技術を身に付けさせる」「英語をマスターさせる」など明確な目的を持って、“お金と時間”を投資して通わせます。週1回の習い事、年間にしてわずか40回~46回です。

そんなとき立ち歩く子、奇声を発する子ども達のためにレッスンが妨害されるのは困ります。目的達成のためには運営側(=塾側)にクレームを言いたくなるのも当然です。

けれども、勉強だけでなく人間教育、社会性を付ける幼稚園、保育園、小学校でこれらの子どもを排除するのは?

日常生活の中で一緒に過ごす環境にいて初めて、「こういう考え方をする人もいるんだ」「自分と違う人もいるんだ」ということがわかってくるのだと思います。

息子への苛め

筆者には19歳になる知的障害を伴う自閉症の息子がいます。小学校時代は特別支援学級に在籍していました。

その頃、通っている学校ではなく、別の学校の児童から通学路で苛められていました。

下校後、家に帰るとニヤニヤしながら「きもい、きもい」とよく言っていました。自分が言われたことをオウム返しで真似していたのですが、それが苛められていることだと本人に自覚する知能がなかったことで、私も気付くことが出来ませんでした。

数ヶ月経って、隣の学校の副校長から「お詫びをしたいので学校に来てほしい」と連絡がありました。どうも登校中、息子は通学路で一緒になる別の小学校(特別支援学級が併設されていない学校)の児童から、突かれたり罵倒されたりしていたらしいのです。

これを通学路にある見知らぬ家の人が「隣の特別支援学級の生徒を○○小学校の生徒が苛めている」と見るに見かねて通報しました。