あの“名コピー”に隠された秘話とは?
なかなか解決の糸口が見えない宣伝方法。それを見事解決したのが糸井重里さんの登場でした。当時、有名なコピーライターとして確固たるポジションにいた糸井さん。新潮社から本を出していたりもしたので、糸井さんがコピーライターとして制作に加わることで、丸くおさまったのです。
また、鈴木さんが「想像以上に素晴らしかった」とふり返る糸井さんのコピー。
気になる、『となりのトトロ』につけられたものは、こちらです。
「このへんないきものは、まだ日本にいるのです。たぶん。」
そして、『火垂るの墓』につけられたものは、こちら。
「4歳と14歳で、生きようと思った。」
どちらも言葉の強さがあり、その世界観を代弁するような完璧なコピー。そして、この2作品を繫ぐコピーとして、「忘れものを、届けにきました。」が制作されました。さすがプロの技ですね。2016年の今このコピーを見ても新鮮さがあります。
そんな2作品のコピーに関しても裏話があって、実は最初のコピー案は上記のものとは違ったのです。
『となりのトトロ』で作られた最初のコピーは、「このへんないきものは、もう日本にいないのです。たぶん。」でした。採用されたものと少し違う表現ですよね。このコピー案に対して、宮崎駿さんが、「へんないきものは、いる!」と断言。そこで、コピーは、「まだ日本にいるのです。」に変更されたそうです。
また、『火垂るの墓』の最初のコピーも「これしかなかった。七輪ひとつに布団、蚊帳、それに妹と螢。」と、現在のものと違ったものでした。ただ、新潮社側から難しすぎるという注文があり、作り直すことに。その結果、「4歳と14歳」というコンパクトで強いものが仕上がったのです。
両作品のヒットはご存じの通り。両コピーも作品を支える一部として、今でも使われ続けています。
糸井さんのコピーはそれ以降も採用されており、『魔女の宅急便』では「おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。」、『もののけ姫』で、「生きろ。」といったコピーを制作しました。
このコピーを見ているだけで、またジブリ作品が観たくなってきますね。夏休みは、ゆっくりジブリ作品の鑑賞といきましょうか。
(屯田兵)
【書籍情報】『ジブリの仲間たち』鈴木敏夫著 新潮社