数多くの名アニメを生み出してきたアニメスタジオ・GONZOが2017年で創立25周年を迎えることを記念して、1998年の『青の6号』、代表作と言える『LASTEXILE』、長編アニメ映画『ブレイブ ストーリー』など、数多くのゴンゾ作品に携わってきたアニメ監督・千明孝一さんにインタビューを実施。当時を振り返っていただきました。

前編に引き続いて、今回は『ブレイブストーリー』『LASTEXILE』などの制作秘話を中心にお届け。まさかの裏話も飛び出したアニメファン必見の内容です!

劇場大作『ブレイブ ストーリー』で描いたこととは?

――TVアニメ『LASTEXILE』の後、2006年にはついに、宮部みゆきさん原作の劇場作品『ブレイブ ストーリー』が公開。当時私も観に行きましたが、2006年の夏には『ゲド戦記』という大作があって。

千明:ぶつかっちゃいましたよね、最悪ですよね(苦笑)

――去年のアニメ業界も印象的な作品がたくさんあったと思うんですけど、それに匹敵するくらいの年でした。ピクサーの『カーズ』もあって、細田守監督の『時をかける少女』があって、劇場アニメがすごく盛り上がっていました。『ブレイブ ストーリー』は、フジテレビさんのパワーもあって、かなりイケイケな感じで作られていたのでしょうか……?

千明:いや……とか言っちゃダメだけど(苦笑)。フジテレビもアニメ映画初めてだったんですよ。GONZO自体も『アギト』があって2本目だったんですけど、『アギト』はすごくマニアックだったのに対して『ブレイブ ストーリー』は一般向けだったじゃないですか。

僕も抜擢して頂いたんですが、GONZOってすごくマニアックな会社だとわかっていたので、初めて映画をやるうえで『カレイドスター』を手がけた友人の池田東陽君ってプロデューサーとよく話していたんです。

彼が「どうなの?」って言うから、『ブレイブ ストーリー』はGONZOっぽくないものを作りたいって答えました。要するに一般の人に観てもらいたいし、東映が作るような映画を作りたいんだよねって。

あと思っていたのは、相手はフジテレビだったんですけど、この先もTV局と一緒に映画をつくることになると思っていたんです。その1発目で、自分はたまたま『ブレイブ ストーリー』の監督に抜擢させてもらったけど、次は前田さんや大倉さんだろうと思っていて、だったらTV局のプロデューサーだろうが、こちらは20年30年ディレクターをやっているので、いいなりではなく押し切られずにきちんとプロとして真っ当に戦っていこうと。

TV局だからって言いなりになっていたら、次に監督をやられる方に迷惑をかけると思ったんです。そういう気持ちでこの作品には向き合いましたけど……。

――なかなか大変だったのですね。作品としては、アニメーションディレクターの千羽由利子さんの手腕が存分に発揮されていますよね。

千明:本当にありがたかったです。

――その後千羽さんは『コードギアス 反逆のルルーシュ』などをやられますが、千羽さんの絵柄があそこまで現れた劇場クラスの作品というのは、ほかにあんまりないですよね。決めカットの表情も素晴らしくて、千羽さんの描く表情は心情を物語れるところが魅力的だと思うのですが、それが物語のキーポイントで発揮されていたと思います。そこには監督のこだわりもあったのでしょうか?

千明:こだわりっていうか、映像化にあたって千羽さんと谷口悟朗さんがやっていた『プラネテス』で、月の女の子の話(第7話『地球外少女』)があって、それが凄くよくてこの人と仕事をしたいなと思ってたんですよ。

(『プラネテス』にも参加されている)大橋誉志光さんという方が、安彦さんがらみで知り合いだったので連絡をとって千羽さんを紹介してくれないかとお願いしたら、千羽さんがGONZOに来てくれたんですよ。

でもあとから聞くと、断りに来たらしいんですよね。

――そうなんですか!

千明:当時の西新宿の会議室で、一緒にやりませんかと一生懸命粘ったんですね。そしたら最後に大河内一桜さんという脚本家の方が説得してくれたんです。

千羽さんは『ブレイブ ストーリー』をやるにあたって、誰も知り合いがいないからいい仕事ができないんじゃないかって思っていたらしいんですけど、「ぜったい千羽さんのためになるよ」って大河内さんが説得してくださって、大逆転で(笑)