“教育虐待”をしない親になるために
1: “子どもの器”を見極めよう
ひたすら勉強をさせられて、本当に東大に入ってしまう子もいれば、早々につぶれてしまう子もいる。この違いはなんなのか。出典(『ルポ教育虐待 毒親と追いつめられる子どもたち』著・おおたとしまさ)
この問いかけに対して、本書に登場する「花まる学習会」の代表・高濱正伸さんは「子ども本人の器の違いです。」と簡潔に答えています。
つまり、巷にあふれる勉強法を与えたところで、子どもに合うかどうかは子ども次第。
大人も千差万別さまざまな人がいるように、子どもまた十人十色です。親子であっても親と子どもは別の人間です。親が提供する勉強法が合わなかったからといって、子どもは責められるべきではありません。
同時に、子どもに対する教育がなんだかうまくいっていない感覚があっても、親が自分自身を責めなくても良いということです。
視野を狭めず、前向きにトライアンドエラーを繰り返していくことが大切ですね。
2: 「なんのための教育?」を親がしっかり考える
なぜ勉強をしなければいけないのか? その疑問についてしっかりと考え、自分なりの答えを出している人はどれだけいるでしょうか。
教育虐待をしてしまう親に共通しているのは、
教育の目的は何か、なぜ勉強しなければならないのかという哲学がない出典(『ルポ教育虐待 毒親と追いつめられる子どもたち』著・おおたとしまさ)
という部分だそう。
人生の最終目的はテストの点数をあげることや、東大に入ることではないはず。むしろそれは“子どもが生きていくための手段やアイテム”であるはずなのに、親の中でそれが目的化してしまっているのですね。
「どうして勉強しないといけないの?」子どもからこんな疑問を投げかけられた経験のある親は多いはず。今一度、見栄や思い込みを排除してこの疑問を自分の中で考えてみましょう。
3: 結局、親は無力! と心得る
あえて言いたい。結局のところ、親は実は無力であると。いやむしろ、親は無力でいい、無力がいい。出典(『ルポ教育虐待 毒親と追いつめられる子どもたち』著・おおたとしまさ)
本書では、あえて「親は無力」という衝撃的な表現がされています。
親は子どもを思って、あれこれと世話を焼いてあげたり、上手に生きられるようにレールを敷いてあげたりしたくなるものです。
しかし、いくら意思疎通ができるほどに成長しても、子どもは親の思い通りには育たないものではないでしょうか。
何が何だがわからないまま過ぎていった赤ちゃんの時と同じように、親があたふたするのを横目に、子どもは勝手に成長していくものです。
「親」というものを過大評価せず、子どもの底力を信じて見守ることも大切です。
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子どもを思う親であるからこそ、誰もがやってしまう可能性がある“教育虐待”。「あなたのため」そう口にしてさせている勉強は、本当に子どものためになっていますか?
今一度、子どもの様子を見つめ直して、「なぜ勉強をするのか」という本来の目的を振り返ってみましょう。