テストの結果が悪かったとき、運動会でビリだったとき

テストの成績でも「100点とれて偉いね」、運動会の徒競走でも「優勝して立派だね」「他の子ども達よりもいい成績を残して立派だね」

このような「結果に対して評価する」褒め言葉しかかけていないと、一番になれなかったとき、子どもだけではなく、親側にも褒める材料がなくなるわけです。

こんな経験をしていくうちに、子ども自身も自分のことだけでなく、「負ける人間は価値がない」という風に周りの子を見下す感覚がついてしまいます。

成績が悪くても「残念な結果だったけれども、頑張って勉強していたもんね。それだけ勉強してきたんだから確実に学力はついているよ」

徒競走でも2番でも3番でも、たとえビリになっても「ずっと練習してきたんだから足の力は強くなっているね」と言ってやればいいのです。また「頑張って最後まで走ったね」と言葉をかけてやればいいんです。

「これ以上走っても一番になれない」とわかっても、途中で歩き出したりリタイアすることなく、最後まで歩くことなく走り続けることは素晴らしい行動だからです。

それから、「今度は頑張ったら絶対に100点がとれるよ」「来年の運動会は絶対に一等賞がとれるから」などと保証をするような励ましの言葉もよくないですよ。

マンネリ化しないように“アナウンサーのように実況中継”すればいい

子どもがご飯を食べた、ゴミを捨てたなどの行為を毎回、「偉いね」「凄いね」「お利口だね」ですと、マンネリ化してBGMのようになってしまいます。

そんな時は、子どもが出来る家事分担をさせて

「ゴミを捨ててくれたから、部屋が綺麗になって快適だわ~」
「いつも、食器を下げてくれるからママは助かるわ~」
「洗濯物のタオルを畳んでくれるから、ママはゆっくり新聞が読めるわ。ありがとうね」

また、「ご飯美味しかった?全部食べてくれて作り甲斐があるわ」

零したお茶を拭いていたら「わあ、零したの拭いているのね」と感動してやればいいのです。

これらのアナウンサーのような実況中継は、子どもをしっかり観察していなくては出来ないことです。関心を持ってくれている、いつも見ていてくれている、それだけで十分なのです。

子どもが赤ちゃんのとき「わあ、首が座った」「わあ、寝返りを打った」「わあ、ハイハイできた」など、子どもの行動を言葉に出して感激していませんでしたか?それと同じことを子どもが3歳になっても4歳になっても続けていきましょう。

まとめ

褒めるという行為は「あなたのこと関心を持っているのよ。認めているのよ」ということです。「お利口だね」「偉いね」「立派だね」ということではありません。結果が出なくても些細なことでもいつも気にかけ声をかけてやる、これだけで十分なのです。

「褒める=認める」のは見守っているからこそできること。「子どもは褒めて育てなくてはならない!」と気負わないようにしましょうね。