演じていると、ありもしない思い出が甦るときがある
純を演じる上で、最も大きな山場となったのが、山口紗弥加演じる母との病院の場面。息子が同性愛者であると知った母は、自分も若い頃は同性の先輩に憧れがあったと語る。そんな母に、純は猛反発する。
神尾自身が、「今までやってきた中でも、あの感情の大きさは結構上位レベルでした」と振り返るほど迫真のシーンだ。
「お母さんは慰めのつもりで言ったのかもしれない。その優しさもきっと純だってわかってないわけじゃないと思うんです。だけど、あの状況で言われたら、最初に出てくるのは怒りだろうなって。なんだよ表面しか見てないじゃんって。そうなる純の気持ちは自然と受け入れられました」
もし神尾楓珠として読んでいたら、その母の言葉には引っかからなかったかもしれない? そう尋ねると、「そうかもしれない」とうなずいた。
「あのシーンをやっているとき、なんか浮かんできたんですよ。山口さん演じるお母さんと過ごした親子の思い出みたいなのが、頭の中に。もちろん、実際には経験してもいない、台本にも描かれていないことなんですけど。演じていると、そういうありもしない思い出が甦ることがたまにあるんです」
それくらい、その瞬間、神尾楓珠は安藤純になっていた。自分は当事者ではない。素の自分とは距離があると思っていた安藤純に、いつしか体と心が同化していた。
「僕は演じるときは完全理論先行というか。いろいろ考えて、計算して、やっていることが多いんですけど。親友の萩原利久が感情型で。1回聞いたんです、『なんでそんな感情でいけるの?』って。そしたら『別に考えていないわけじゃない。計算した上での憑依だから』って言ってて。
なるほどな、計算だけじゃダメなんだと思いはじめて。特に今回の場合は、計算はするけど、現場に入ったら1回全部忘れて、役に入るっていうことを大切にしていました」
きっとあの病院の場面は、理論型の神尾楓珠が完全に安藤純に憑依していた。安藤の叫びに、多くの人が胸を引きちぎられるような気持ちになるだろう。
「そのシーンが終わったあと、スタッフさんがモニター越しで泣いていたって聞いて。それはすごいうれしかったです。そんな経験、なかなかできないじゃないですか。ちゃんと没入すれば伝わるんだと思ったし、演じるときにこのぐらいでいいやなんて妥協してたらダメなんだなとも思った。思い出のシーンですね」