背中を軽くポンっと押してくれるような、観ていてちょっとだけ頑張ろうかな、という気持ちになれる作品

撮影/小嶋文子

――大九監督はどんな方ですか?

広瀬:女の子が恋しているときに感じるちょっとしたウキウキとかを本当に繊細に演出してくださいました。ルンルンした気持ちを上げるためにスキップをしてみたり、そのステップを大きくしてみたり。

動きや表現を細かく作ってくださるので、私もそれに合わせることによってどんどんミキちゃんというキャラクターを吸収することができました。

井之脇:さっきから話も出ているハプニングもそうなんですけど、その場で起こったことや感情を採用してくださるんです。

あとは、監督がもともとお笑いをやられていたこともあって、シュールな笑いを作るのはすごく上手だな、と。僕はあまり笑いのセンスがないので(苦笑)。

広瀬:そうなんですか?

井之脇:ないですね。だから監督から細かく「ここはこういう風に言ってみて」とかって指示をいただけると「あー、なるほど、こういう風にやったら面白く見えるんだな」ってわかって。そういうことがいろいろありましたね。

広瀬:大体、お花屋さんでのミキと青年のシーンってシュールでしたよね。お花屋さんの店内が一周回れるような作りになっていて、そこを2人でぐるぐる回りながらセリフを言い合うとか、不思議な間で入るとか。

井之脇:シュールでしたね(笑)。

撮影/小嶋文子

――この作品自体にはどんな想いを抱いていましたか?

広瀬:背中を軽くポンっと押してくれるような、観ていてちょっとだけ頑張ろうかな、という気持ちになれる作品だと思いました。でも、それって実はすごく前向きになれることだとも思うんです。

失恋をした人の話を聞いて、ご飯を食べてなんか頑張ってみようかなって。言い方はちょっと変かも知れないですけど、失恋も悪いものじゃないなって思えるし。立ち直れる方法はいくらでもあるんだ、って思いました。

ご飯を食べて美味しいって思えたら、それで大丈夫だって思うんです。食べることって不幸を忘れられる瞬間ですよね。目の前の食べ物を純粋に美味しいと思えることって、すごくいいことなんだって改めて思いました。

井之脇:僕は出来上がった作品を観たとき、僕たちの生きている日常に近いというか、寄り添ってくれているような作品だな、と思いました。

というのも、劇中で街の名前は丸々区三角町ですし、僕は花屋の“青年”で、名前もない。1号、2号、3号とか、変な名前の人たちも出てくるんですけど、そういう感じだからこそ、ドラマの中というより本当に自分たちの近くにありそうに感じられて。

失恋も日常に溢れていますしね。だから失恋して寂しいときに観たら、そこに寄り添ってくれるようなドラマになっているんじゃないかと思いました。

©木丸みさき・KADOKAWA/ytv

――それが配信という気軽に観られる形であることもいいですよね。日常に溶け込めるというか。

井之脇:僕もそれは感じていました。サブスクがこれだけ世の中に広がってきてスマホでも簡単に観られるじゃないですか。そうするとどんどんドラマと日常ってシームレスになってきていると思うんです。

今回、劇中に出て来る食べ物屋さんもお花屋さんも、全部、実際にあるお店だから、そのお店に行ってみたいな、と思うと行くことができる。ドラマと日常の境目があまりないような気がして、それは新しいのかな、って思います。