仁寺洞メインストリートを北上する
続いて2本目の動画。
パトカーを左手に見ながら進むと、最初の交差点にさしかかる。ここを右に曲がると本コラムでもよく取り上げる楽園商街ビル(ベージュの建物)があり、そこを抜けると仁寺洞とはかなり趣の違うディープな鍾路3街(チョンノサムガ)エリアに入る。
この辺りから若いカップルや女子の二人連れが目立ってくる。点在する緑色の屋台ではトッポッキやリンゴ飴、プンオパン(鯛焼き)などを商っている。子どもにリンゴ飴を渡す女性の笑顔にホッとさせられる(1分13秒)。
家族連れも目立ってきた。20年前は子供の姿を見かける街ではなかった。書画骨董を物色しに来る人。個展をひらく人とそれを見に来る人。そして、メインストリートから一本入った路地には彼らが打ち上げをする渋い酒場があった。仁寺洞とはそんな街だったのだ。
緑の屋台街を抜けたところが仁寺洞サゴリ(四つ角)と呼ばれる二つ目の交差点(1分25秒)だ。他の街からタクシーで仁寺洞に向かうとき、運転手さんに「インサドン・サゴリ」告げればたどり着ける。
交差点の手前左角は韓紙の店だったが、いつのまにか洋服屋さんに変わっている。
さらに進むと、右手に2階建ての伝統家屋が見えてくる。仁寺洞らしい建物だが、ここはテナントがちょくちょく変わる。
メインストリートの中間辺りに位置しているからさぞ家賃も高いだろう。2000年に金大中大統領と金正日総書記の南北頂上会談が平壌で行われた直後、この2階には北朝鮮グッズの店があったと記憶している。
あれから20数年、南北は我が国の政権が左から右に、右から左に変わるたびにくっついたり離れたりしていて、いまだ平行線のままだ。
右手に「明新堂筆房」いう漢字の看板が見える(2分30秒)。この店は仁寺洞でもかなりの古株だ。
店先には大きな筆がぶら下げられている。20年前の写真を見たら今の倍ぐらい筆先が太かった。自然と細っていったのか、子どもがおもしろがってさわっているうちに抜けてしまったのか。
その斜め向かいにある伝統喫茶「チデパン」は私が記憶する限り30年以上ここで営業している。
経営者は途中で何度か変わったが、店内の様子は90年代と変わらない。この街にはレトロを演出するため内外装に木を使う店が多いのだが、この店は本物の積年を感じさせてくれる。
2分48秒あたりからかつての仁寺洞のイメージを変えたおしゃれなビルが目立ち始める。左手には「仁寺洞マル」、右手には2004年に誕生した4階建てのショッピングモール「サムジキル」が見えてきた。
90年代は平屋の建物がほとんどだったので違和感はぬぐえないが、回廊式の建物を一周すれば、個性的なデザインのアクセサリーや芸術作品に出会えるかもしれない。
チョン・ウンスク “90分で知る「韓国人と酒50年史」”オンライン講座開催
5月22日(日)15:30~17:00
酒の流行、アルコール度数の変化、酒場やつまみの変化など、韓国の世相と酒の関係についてお話します。詳細お申し込みは下記、栄中日文化センターのサイトで。