韓国旅行の楽しみ方が多様化し、日本からの旅行者の目がソウルや釜山以外の地方にも向き始めている今、韓国全土を歩き回っている韓国人女性ライターに、美食と美酒を誇る全羅北道の中心都市・全州(チョンジュ)の魅力を2回に渡り紹介してもらった。
3回目(最終回)はローカル市場で偶然出合った庶民的なマッコリ酒場の話題から。
漬けたてキムチのおすそ分け
全州の旅2日目。午前中のモレネ市場散歩が思いのほか楽しかったので、別のローカル市場をハシゴすることにした。
バスで向かったのは全州市の南西部にある西部市場。「青春市場」という別名を冠して若返りを果たそうとした形跡があるが、モレネ市場以上にさびれた雰囲気だった。
日曜日ということもあり、人気の感じられない薄暗いビルに入っていくと、青果店と食料雑貨店らしき店が営業していた。店先では70代夫婦らしい二人と同世代の女性がキムチ漬けの真っ最中だった。
いいところにやってきた。
白菜の葉に丁寧に薬味を塗りつけている手つきに見惚れながら、なんだかんだとお愛想を言っていると、女性の一人が薬味を塗ったばかりの白菜を口に入れてくれた。
韓国人はある程度発酵が進んだキムチを好むが、漬けたてはそれとはまた別のフレッシュな美味しさがある。
唐辛子の辛味がまだ落ち着いていないので、口の中が熱くなる。目が覚めるようだ。全羅道では薬味に魚介系を混ぜることが多いので、そのあとに荒々しい旨味が残る。
美味しい美味しいと言いながら、その場に居座っていると、お父さんが息子さんの自慢話を始めた。
ソウルで暮らしていて写真家として活躍しているらしい。スマホで検索するとすぐ出てきた。なかなか男前だ。
我が国では越冬用の大量のキムチを漬けるときは、近所の人たちが相互に手伝う習慣がある。
他の地域と比べると農耕文化が色濃く残っている全羅道では、とくにその美風は健在だ。三人の共同作業に清貧を感じ、ソウルで頑張っている息子さんに思いを馳せると、心がジーンとなった。
これぞ全羅道のもてなし!つまみが次々出てくる安ウマ酒場
赤くて辛いキムチを食べたら、白くて甘くて清涼な飲み物がほしくなってきた。そう、マッコリだ。
西部市場の周辺を当てもなく歩いていると、スンデ(腸詰)の看板を掲げた古びた食堂の前で、おじさんが一人タバコをくゆらせている。
「おじさん、この辺りでマッコリを飲ませてくれる店ないですか?」
「ここで飲めばいい」
おじさんが目の前の店を指して言う。
スンデの店でマッコリを出しても何の不思議もない。引き戸を少し開けて中をのぞくと、店内にはメニュー表らしきものはない。スンデを食べている人も見当たらない。
田舎ではよくあることだが、居抜きで店舗を借り、以前の看板を外しもせず、そのまま使っているのだろう。このゆるさがいい。
中高年の男性客はテーブルの上の小皿に箸をのばしながら、マッコリを飲んでいる。女将は70歳くらいだろうか。厨房を出たり入ったりしながら、客席に小皿を運んでいる。
マッコリのボトルを頼むと、切り干し大根のキムチと鶏の足を辛く煮たものが出てきた。
韓国では大衆食堂で酒だけ頼んでも、キムチやナムルの一皿、ピーナッツか煮干しの一皿くらいは添えられるのが普通だ。
店内のテレビはKBSの「全国のど自慢」を流している。日本のNHKのど自慢の韓国版だ。
ぽっちゃりたした女性が激しく踊り歌うのを見て、隣席のおじさんがケタケタ笑っている。これぞ韓国の日曜の昼下がりだ。
隣りの席のおじさんと雑談していると、女将がチョギ(イシモチ)の揚げ焼きと豆モヤシのスープ、豆腐を持ってきた。
頼んでいないんだけどな……などと韓国旅行に不慣れな日本人のように思いながらも、マッコリの酔いが回っていたので、ありがたくいただく。
イシモチは二度揚げではないらしく、カラッと揚がっていた。脂ののった身が骨からサッと離れる。
2本目のマッコリを頼むと、さらにキムチのジョン(お好み焼き)、白菜のジョン、卵の両面焼きが出てきた。デザートなのか、女将がみかんまで持ってきた。
この店で酒を頼むと、つまみは「おまかせ」で出てくるのだな。
そう思いながら、たちまち2本目のマッコリを空ける。隣席のおじさんや女将の発する全羅道訛りが耳に心地よい。幸せな日曜日だ。
昼酒を1時間半ほど楽しんで会計すると、女将が「1万ウォン」だと言う。えっ!? 今どき食堂でも飲み屋でもマッコリ1本4,000ウォンはする。
そうか、わかった。この店は全羅道式とでもいうべき昔ながらの業態なのだ。
17年前、韓国全土のマッコリ酒場を巡る『マッコルリの旅』という本の取材で全羅道各地を飲み歩いたとき、当時1本2,000~3,000ウォンのマッコリを頼めば、女将があり合わせの食材で作ってくれるつまみが5、6品出てきたことを思い出した。
この店はマッコリ1本5,000ウォンとソウルの焼肉店なみの価格だが、それはおまかせのつまみ込みの価格なのだ。デザートのみかんも含めればつまみは計9品! これぞ全羅道のもてなしだ。
我が国には1980年代くらいまで、住居の一部を食堂として開放し、家庭料理の延長のような食べ物と酒を提供する店がソウルにもあった。
それらは経済成長とともに消えて行ったが、政治的経済的に不遇で再開発の波にも乗り遅れた全羅道にはそんな店が十数年前まで残っていた。この店はそんな時代の空気を伝える数少ない店のひとつなのだ。
女将と常連客に再訪を誓い、スンデの看板を掲げた名もない店をあとにした。