2: 「応えるかどうかは相手しだい」を受け入れられない
一方、振った側の気持ちを考えてみると、自分のために愛情を向けてくれた、いろいろとがんばってくれたことはよく伝わっていても、「それでも好きになれなかった」というのが答えです。
感謝と申し訳なさを同時に抱えるのは振る側にとってもつらいことですが、好意を向けてくれる人への誠実さとして、終わることを選ぶ人も大勢います。
中途半端なつながりで、相手を都合よく遊べる人と思っていた、好かれていることにあぐらをかいていた人でも、結局は相手の望む関係にはなれないなら離れることがほとんどです。
どんな関係であっても立場は対等であり、思いを向けるのが自由なら相手がどう応えるかもまた自由。
好意や努力を報われたいと思っても、「応えるかどうかは相手しだい」であるのが現実で、それは同じ立場の自分にもいえます。
がんばったのに選んでくれなかった相手を責めることは、「こちらの好意や愛情を受け止めるべき」「応えるのが義務」のような一方的な役割を押し付けるのと同じです。
3: 好かれない自分を否定したい
自分が振る側になれば、「がんばったのだからこちらの努力に報いるべきだ」という相手に対してストレスを感じるはずで、客観的な考え方を忘れてしまうとかえって自分が追い詰められます。
振られた自分、選ばれなかった自分をきちんと受け止め、「それでも私は自分のために努力できた」と思える強さが、未練も執着も残さず前に前に進むためには大切。
それができずに「好かれなかった自分」を否定することに躍起になると、「つらさの元を取る」ために復縁や新しい関係を考えます。
「よりを戻したい」「また付き合いたい」「好かれたい」と思う気持ちの本音が、「こんなにつらいのだから相手は報いるべき」になっていないでしょうか。
ふたりの関係のためにかけた労力を相手のせいにして、それを自分に関わる理由にして、「だから好きになって」と願うのが元を取りたい人の心理です。
がんばったのに好かれない自分で終わることが耐えられないのですね。