執着を捨てるのは自分のため

つらい失恋をして、元を取りたいと願う気持ちは誰だって持つ可能性はあります。

振られたことを受け入れられない、あんなにがんばったのだから好かれるべきとふたりの関係に正当性を持ち出す気持ちは、それだけ大きな愛情を向けていたからです。

それでも、応えるかどうかは相手しだいなのが現実なのだと思えば、おかしな執着を向けてもさらにつらい思いを重ねるだけ、と知るのが自分のため。

見るべきなのは、「好かれなかった自分」ではなく「好きな人のために努力できた自分」です。

その恋愛の目的が交際や結婚で結果は叶わなかったとしても、関係を続ける過程で純粋に相手を思う気持ちがあったことを、その自分を、認めてあげると心が満たされます。

誰かを真摯に愛せる自分を知ることが、次の恋愛への勇気になります。

相手のことを忘れられないときは、「元を取りたい」ではなく相手のどこを好きなのか、どんなところに好意を覚えるのかを冷静に見つめてみると、自分が相手に向ける感情の中身がわかります。

そのとき、相手の姿ではなく「受け入れてもらう自分」しか想像できないとしたら、それは恋愛ではなく執着と依存なのだと気がつくはずです。

つらい失恋をしていつまでも報われなかった自分にしがみつくのは、ネガティブな感情に支配されるうえに相手の姿まで歪めてしまいます。

元を取りたい気持ちがあるとしても、その結果また傷つくのであれば本末転倒です。

執着は捨てるのが自分のため、向ける好意や愛情は「相手のどこを好きなのか」という純粋な気持ちに立ち戻るのが正解と心得たいですね。