もし本人の「意思」が確認できなくなったら?
では、今回のケースでもし「売却する」という意思が確認できなかった場合には、どうなっていたのでしょうか。
本人が何も備えていなかった場合、売却手続きには法定後見制度を利用するしかありません。家庭裁判所に申し立て、本人の認知機能のレベルに合わせて選任された代理人が当事者に変わって手続きをしていきます。
ただ、無条件に手続きが進められるわけではありません。本人が住んでいた自宅を売却するには、裁判所の許可も必要です。
これは、仮に判断能力が低下していたとしても自宅を失うことは本人にとって苦痛かもしれず、悪影響を及ぼすかもしれないので、しっかり裁判所で「売らざるを得ないのか」を判断しましょうというものです。
これは、「親が認知症になってしまったから、とっとと家を売却して現金化して自分のものにしよう」と目論む家族から当事者本人を守るという側面もあります。
一方で、不測の事態が起きたときにも人道的な観点から、何とか本人のために必要なお金を得られるようにしたいという、今回のケースのような家族の思いも存在します。日本が超高齢社会を迎えたいま、売却などの契約行為のほか、金融資産の引き出しなどの場面でニーズが高まっているところでもあるのです。
自宅の売却は早めの準備が大切
人はなかなか、亡くなる直前まで元気にしていて苦しまず、他の人の手も患わせずに死を迎える……というわけにはいきません。
相続が発生する前には、判断能力が衰えるか、体に支障が出てくるか、何らか能力や機能が低下するのは仕方がないことです。そう分かっているなら、「自分はどうしたいか」を早めに考えていきましょう。
この大家さんの場合、どうせ売却するのであればもう少し早く売却を終えていてもよかったはずですが、90代になってからも、これからのことを考えて行動するのを「まだ早い」と先送りにしていたという事情がありました。
そして、そろそろ一人で生活するのに支障が出てきたころ、今回のような骨折からの入院となってしまったのです。入院後にも自宅売却の手続きをすることができましたが、これは大家さんが売買契約をすでに終えていて、まだご本人の意思確認ができる状態だったから出来たことなのです。
「いつか」は必ず来ます。
そのことを考え、ギリギリで綱渡りをするのではなく、早めに動くことが長寿時代の得策だと思っています。
(記事は2024年11月1日現在の情報に基づいています。質問は司法書士の実際の体験に基づいた創作です)
司法書士:太田垣章子(司法書士)
神戸海星女子学院卒業後、プロ野球の球団広報を経て認定司法書士に。約3000件の賃貸トラブル解決に家主側の立場から携わってきた。住まいにまつわる問題のほか、終活・相続のサポートにも従事。講演や執筆等でも積極的に発信している。
著書に『2000人の大家さんを救った司法書士が教える賃貸トラブルを防ぐ・解決する安心ガイド』(日本実業出版社)、『家賃滞納という貧困』『老後に住める家がない!』『不動産大異変』『あなたが独りで倒れて困ること30』(いずれもポプラ社)。東京司法書士会所属、会員番号第6040号。
【記事協力:相続会議】
「想いをつなぐ、家族のバトン」をコンセプトに、朝日新聞社が運営する相続に関するポータルサイト。役立つ情報をお届けするほか、お住まい近くの弁護士や税理士、司法書士を検索する機能がある。例えば、長野であれば下記から探すことができる。