ーーそれは、「AKB48 32ndシングル選抜総選挙」の頃。2013年のことになります。あの総選挙では…
「SNH48 一本でいきます」宣言したときですよね。(第18回)
ーーそうなんです。それ以前にも、佐江ちゃん自身について聞くことはありました。でも、その頃を機に、連載の方向性を次第に変化させていこうと考え出したんです。「新たな方向性でいこう!」と、決定的にしたのは、第21回でのことでした。
ええと…
(何ページもある連載資料を、前後しながらめくる佐江ちゃん)
ーーテレビ番組の台湾ロケで、現地の野球界で活躍する日本人監督さんとのエピソードを話してくれた回です。
あっ! 監督さんに「コーチ術」を教えていただいた回ですよね? 「コーチ術」、学んだ、学びました!
ーー当時、「コーチ術」で学んだことを、SNH48にどう生かそうかを考えていたり、48グループにいた頃の佐江ちゃんは、やっぱり今と違って、「大勢のなかの自分」という見方での話が多かったと思います。
48グループにいたときは、「自分で」とか「自分が」とか、本当に自分のことは全然、考えていなかった。AKB48、SNH48、SKE48のとき、いつもそうでした。
「この人のためにどうしたらいいか」とか「私がここにいるのは、こういうことをするために、この場を与えられているからなんだ」とか。そういう考え方で取り組んでいました。
でも、そのなかでも、吸収できたことはあったから、そういう経験ができたことは、よかったと思っています。
ーー台湾でコーチングを学ぶ前、打ちひしがれて帰ってきたときがありましたよね。
私が現地で思わず怒ってしまったときですかね。でも、メンバーのパフォーマンスのことで怒ったんじゃないんです。(第5回)
まりやんぬ(鈴木まりや)と私が、メンバーからもらったプレゼントを、ライブ会場に忘れて置いて帰ってきちゃったのを、「大切なものを捨てて帰った」と誤解されてしまって…。すごく悲しくなってしまいました。
現地にいて右も左もわからないのに、「もう、帰る!」って、食事場所を飛び出して。飛び出したのはいいけれど、どっちに行けばいいかわからなくて、助けてもらった、っていうことがありましたね(苦笑)
あのときは家族に電話をかけまくって…。確かに、ライブでパフォーマンスの成長が見られなかったのも事実だったし、SNH48のメンバーに悲しくなって。
ーーいろんなことがありましたね。
後になれば、笑って話せるトラブルなんですけどね。
ーー文化や習慣の違いがあるだけに、「どうして?」と疑問に思ったり、ストレスを感じるシーンに遭遇したりすることって、確かにあると思います。
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