大変だったなって思うけど、振り返って話せる経験があるって、ありがたいことだと思ってます。

いまだに、「中国へ行ってたよね」って、言われる機会がすごく多いんです。

中国へ行くことは、私自身すごく悩んで決断しました。

だけど、本当は、「中国へいきませんか?」って、言われたのがどうして私なのかって、すごく思ってました。当時はマイナスなことは言えなくて、今だから話せることだけど。

親も心配して、「何で佐江が?」って、すごく泣いていたし。だから中国行きをすごく悩んだけど、でも、そのときからどこかしらで、「これをバネにしよう」っていう感情が生まれていたんです。

中国行きがきっかけで、少しでも多くの人に自分の名前を知ってもらえるならって。

もし、あのとき中国へ行ってなかったら。。

AKB48のなかで、どんどん忘れられた存在になってしまったと思うし、総選挙も、皆がくれた順位のような結果までは、いけなかったんじゃないかと思うんです。

今でもまだ「中国に行ってた子」って、言われるということは、

「宮澤佐江、イコール 中国」

みたいな感じで、皆さんの記憶に残せたんじゃないかと思うんです。そう思うと、「ああ、あのとき決断してよかったな」って、思います。

でも実際に、中国で結果を残せたかというと、正直、自分が思っていた生活とは全然違っていたので、歯がゆい思いはあります。

ーー確かに、第146回で言っていたのは…、

ちょ、ちょ、ちょっと待って! と、突然言わないで(笑)。ええとぉ…

(連載資料を急いでめくり、該当箇所を探す佐江ちゃん)

でも、面白いね。皆で資料を見ながら話すのって。あはははははははっ!

「人が味わったことのない、自分しか味わったことのない経験をしているな」って、思うんです。48グループに何百人もいる中で、こんな経験をしているのは自分だけだなって思うと、なんか、やった!! って、思いますね」(第146回)

明るい未来を期待しているからだろうな、この発言は(笑)。前向きぃッ♪

私、今でも自信ある。あの頃、私が一番大変だったと思う。感情も、心も。

自分は丈夫だから、ストレスがカラダに出たり、倒れたり、病気したりすることもなく元気だったけど。でも、メンタルは壊れてたと思う。

それは、自信をもちたくないことだけど、でもやっぱり、自信もって言っちゃいます。一番、私がキツかったって。

ーー当時、佐江ちゃんは22歳。世間でいえば、やっと社会人になるくらいの年齢で、目の前にある状況を受け入れて、決断をしたわけですからね。

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