叱れない大人
図書館では様々なルールがあります。
例えば
- 本に折り目を付けない
- 飲食しない
- 走り回らない
- 大声を出さない 等々
貼り紙もしてあります。
この日のケースでは図書館のスタッフは貼り紙に丸投げしていて、子ども達の飲食に気が付いても、何も言う様子がありませんでした。
結果、見るに見かねて関係のない利用者の筆者が子ども達に注意しました。
逆ギレを恐れて、見て見ぬ振り
さて、その後、子ども達の様子を観察していました。
帰宅時に図書館のスタッフが「さようなら」と声をかけても、「ありがとうございました。さようなら」と挨拶を返すこともなく、無言で立ち去る子ども達。でも、挨拶がなかったからといって「帰る時は挨拶をしなさい」と叱る職員は誰一人いませんでした。
逆ギレされるのを恐れて、まだ自分の背丈の半分くらいしかない小学生に対しても何も言えないのかもしれません。こうして、段々と人としてのしつけがされないまま大人になっていく子ども達。昔は近所の人が親に変わって、ビシッと叱ってくれたのですが今は時代が違うのですね。
バスで「携帯電話はご遠慮ください」という貼り紙があり、アナウンスが流れます。しかし、運転手の中にも携帯電話をしている人にマイクを通して口頭で注意をする人、しない人がいます。どちらかというと音声に丸投げして、注意しない運転手の方が多い気がします。
注意して逆ギレされ暴力を振るわれたニュースが流れると、職務であっても実行できないのかもしれませんね。
召使いのような母親
さて、母親が迎えに来ました。
小学生なので一人で図書館で過ごしていて、夕方暗くなってから迎えに来たのです。
漫画を読んでいる小学生に対して、本人が散らかした本を母親がいそいそと棚に戻し、更にカバンを背負わせました。
そして「帰りましょう」と母親が言いました。「うるせえなあ」と返す子ども。言葉遣いをしつけることなく、言われっぱなしの親。その後、図書館員に会釈することもなく建物を出て行きました。
「早く家に帰って家事をしたい」、「こんなに本を散らかしてしまって。一人で片付けさせたら可哀想だわ」と思っているのかどうかわかりませんが、母親は無意識に手を動かし、甲斐甲斐しく世話をしていました。
でも、はたから見たら、親が召使い状態で子どもは王様です。「こんな普段の態度がその子どもの横暴な姿勢を作っているんだな」とつい思ってしまいました。
言葉には魂が宿ってしまう
単にしつけが出来ていないのか、大人への反発からか、様々な思いが錯綜して子どもの態度に現れます。どんな行動にも理由があります。でも、だからといって許されないこともあると思うのです。
吐き捨てるような汚い攻撃的な言葉。それがいつしか口癖になり「あの人って感じが悪いね」と悪い評価を受けることにもつながります。大人になってしまったら、誰も注意はしてくれません。本人にとって損なことです。
言霊といって言葉には魂が宿るといいます。「うざい、消えろ、死ね」と常に話していると、その荒れた言葉を一番聞いて影響を受けているのは、周りではなく実は本人なのです。
みんなで子どもを育てていく
子どもの頃に「決められたルールは守る」「目上の人を敬う」という気持ちを持たせることは、とても大切なことだと思います。
我が子がスーパーで売り物の野菜の葉っぱをちぎっていたとき、「ほら、お店の人に怒られるよ!」と“他人が叱るからダメ”というおかしなしつけ方をしている親御さんを見かけます。
子どもが商品をいじる行為を目にしたとき、他人でも「それは売り物です。お金を払っていないのだから、まだあなたの物ではないのよ。だから、ちぎったらダメだよ」と叱ることができる社会であればいいのですが…。
「未来の日本を作っていく子ども達に対して、私達大人はひと昔前のよき日本に戻って、他人の子でもしっかりしつけていく姿勢を見せていかなくてはならない」と思った出来事でした。
実際、図書館でそれをしたら「うざい、こええ~」と言われてしまいましたが、他人から注意されたことが、彼らの頭の片隅に残ったことを願います。
皆さんはどうお感じになりますか?