全くもって霊験あらたかな感じはしないが、妙に楽しそうである。
その斬新な色合いや形状によって遠目からでも目を引き、人目をはばからない「明らかに“珍”なもの」である海外の珍寺に対し、国内の珍寺は「そっと当たり前のようにそこにあるけど、何かがおかしい」という“不思議ちゃん”度が高い寺が多い印象を受けた。
独観さん
「同じ日本国内でも、信仰の性格というか特色や、仏像の顔は地域によって異なります。東北の方はじめっとしているというか、心の奥底から湧き上がる何かを表現したものが多い。一方、九州など南の方はもっとカラッとしている。仏像の顔も目がぱっちりしていて、ハッキリした顔立ちが多いですね」
独観さん
「海外の地獄寺は地獄を表現しているはずなのに、カラフルな色合いとゆるいデザインのせいであまり怖くないですよね。地元の保育園児や小学生なんかは遠足で遊びに来て、これらを見てキャッキャと笑っています。
でも、思わず笑ってしまうような見かけでも、作った人たちはすごく真剣に、情熱を持って作品を作っている。技術が追い付かなくても、溢れ出す熱意や信仰心をなんとか形にしようとした結果なんです。こうしたものは個人で、一生をかけて作っているものが多い。
そういう姿勢には感銘を受けますね。だから、ただ面白がるだけではなくて、見ている方も真剣にというか、尊敬の念を忘れないで欲しいです」
私も「珍寺大道場」を度々拝見しており、この壁に並んでいる寺々に独観さんを追いかけるようにして訪れたことがある。その数は20にも満たないと思うが、実際にこの写真の寺を見てきた者として言えることは、その寺の一番インパクトのある、味のあるポイントがこの会場に集結しているということだ。
いわば、珍寺ベストショット。いや、珍寺フォトジェニック!!!
それを撮りこぼすことなくカメラで切り取ることができるからこそ、珍寺大道場は多くの珍寺ラバーの心をつかみ、探究心を刺激し、珍寺に足を運ばせるのだと感じた。
独観さん
「インターネットだと、どうしても顔が見えない部分があります。実際に来てくれた人とあって、直接感想を聞けるのが嬉しいですね。会期は短いですが、その分ずっと在廊することができるので良いと思っています。
“珍寺”は個人でやっているところが多いので、管理する人がいなくなってしまうと、荒廃して存在自体がなくなってしまうこともあるんです。だから、そうしたものを記録して、残しておくためという目的もあります。まだまだ色々な行かなくてはいけない場所がありますから、珍寺のルポは続けていきたいですね」
会場にいらっしゃる方もかなり多種多様であった。会場をゆっくりと見て回っていると、若い外国の方が来場し「Strange temples!! Wooow!」と大喜びの様子。
英語が堪能な独観子さんと珍寺トークに花を咲かせ、「こういうとこ行ってみたいんですよネー」「関東にもあります?牛久?大仏?近いジャン!」と、海を越えた珍寺伝導の瞬間を目の当たりにすることができた。
また、2人組の坊主頭コンビはモノホンのお坊さんのようで「いつか僕が住職になったら、うちをこんな寺に……」と珍寺誕生を予感させる発言も飛び出していた。
こうして広がる珍寺の輪。インターネット上でも、現実世界でも、「珍寺大道場」は間違いなくその輪を広げ続け、珍寺カルチャーを世に広めるための大きな役割を担っているのである。
このキテレツかつサイケデリックな珍寺の世界が気になった方は、インターネットサイト“珍寺大道場”をチェック。遠い異国の珍寺に興奮するのもよし、自宅近くの珍寺を探してみるのもよし。まずは、奥深い珍寺の魅力に触れてみてほしいと思う。
(文:森嶋千春 撮影・インタビュー:篠崎夏美)