"The Next Right Thing"(「わたしにできること」)の意味

落ち込んで憔悴しきったアナは、それでも、アレンデールの先先代国王の過ちを正し、魔法の森を解放するために、"The Next Right Thing" 「次の正しいこと」を成すために立ち上がります。

これは、誰にでもできることではありません。

過去の真実を知ったその時から、アナは「アレンデールの王族」としての選択を躊躇なく選びました。

そしてエルサがいなくなってしまったことを察知したアナは、深い悲しみに打ちひしがれても、「王族」の責務を果たすために、自分を奮い立たせ、一歩ずつ歩き出すのです。

子守唄を聞いて穏やかに寝息を立てていた女の子は、ひとりで立ち上がり、成すべきことを成すための選択ができるようになりました。

それが、エルサのいない世界で、魔法の森を解放するために「アナだけができること」だからです。

今作のアナは、どのシーンを切り取ってもとても素晴らしい女性になっているのですが、その中でも私が一番心に残ったセリフがあります。

それは、アース・ジャイアントをダムに引き寄せた際に立ちふさがるマンティス中尉に対して言い放った、「他の誰かを失う前に」というセリフです。

大切な人たちを失い、それでも立ち上がったアナが言うからこそ意味があるセリフです。

もう誰も失わせはしない、例え自分の大切な人が戻ってこないとしても。

国を統べる人間として、まだ見ぬ王子に恋をしていたプリンセスだったアナは、立派な統治者として変化しました。

その変化と決意を表す曲こそが、"The Next Right Thing"(「わたしにできること」)なんです。

エルサの「喜び」

今作にてエルサは、もはや女神といっても過言ではないほどの変化をしていますが、それよりも私は、エルサが今作でようやく手に入れることができた「喜び」に注目しています。

苦難を乗り越え、アートハランにたどり着いたエルサは、自分でも気づかぬうちに涙を流し、その喜びに体を震わせます。

そんなエルサの心情を歌った曲が"Show Yourself"(「みせて、あなたを」)です。

ずっと自分の力を隠して、怯えて生きてきたエルサが、ようやく自分のルーツを知れた時、その感情は間違いなく「喜び」であると思います。

前作でエルサは、氷の宮殿にて「私はひとり、だけど自由」と歌っていました。

エルサが真に求めていたことは、前作から一貫して「心が自由でいられる場所」なんですよね。

敵側であるアグナル王を助けたイドゥナ王妃へ、精霊からの祝福として、魔法の力を宿したエルサが生まれた。

第五の精霊は、エルサの魂の根源と密に繋がっています。

人と違う能力を持ったエルサは、アナと愛し合うことはできましたが、魔法の能力について理解し合うことは難しかったのだと思います。

もちろん、姉妹として、人として、アナはエルサの一番の理解者ですし、理解しきることはできなくても、アナは十分エルサの能力を愛して、寄り添っていました。

ですが、持たざる者であるアナには、アートハランそのもののように、エルサのルーツになることはできません。

自分のルーツとは、「自分が今ここで生きている理由」に直結しているため、人が生きていく上でなくてはならないものです。

エルサはアートハランに、魂の根源にたどり着き、ようやく自分と同じ存在に出逢うことができました。

今まで隠されていた、自分の明確なルーツを、その身体全てで感じることができたのです。

この感情を、「喜び」と言わずなんと呼ぶのでしょうか。

私は、エルサに変わって欲しくありませんでした。

ですが、エルサは未知の世界に惹かれ、髪をほどき、真っ白なドレスに身を包み、これまでの彼女とはまるで違う姿に変化しました。

今までずっと恐れていたエルサの変化ですが、その変化を私はすんなりと受け入れることができたのです。

なぜならば、エルサがその変化を心から喜び、受け入れていたからです。

このエルサの感情は、前作、そして短編ではしっかりと描かれなかった箇所です。

映画の冒頭、幼い頃のエルサとアナが雪を使ったごっこ遊びをしているシーンから始まっていますが、そのシーンで馬に乗った「妖精の女王」が出てきます。

馬に乗った妖精の女王は、すべての問題を解決し、みんなはいつまでも幸せに暮らしました。

エルサはアレンデールの女王ではなくなりましたが、ノーサルドラの大地にて、精霊の女王となったのです。

人として人を愛することができるアナはアレンデールの女王として、精霊との強い繋がりを持ったエルサは精霊の女王として、人と精霊を繋ぐ架け橋となったふたりは、ノルウェーの大地でこれからも支え合って生きていくのです。

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