スマホ禁止、まるで“精神と時の部屋”!? 2年間の研修所生活
35周年の舞台で華々しく活躍するふたりが鼓童と出会ったのは、まだ10代のころ。それぞれの理由から鼓童の太鼓に惹かれ門を叩いたのが、新潟県・佐渡ヶ島にある研修所です。
ここで2年間の共同生活を過ごしたのち、見事に鼓童のメンバーへ……と数行でまとめてしまいましたが、この2年間の共同生活は、ふたりにとって大きな転機となりました。
北林「実際に研修所に入ってわかったのは、ステージで見せる技術や輝きの裏には、“下地へのこだわり”があったということ。太鼓の基礎の部分はもちろん、考え方も含めてです。
ただストイックなわけでもなく、それぞれがただ頑張っているだけではあの演奏にはならないんですよね。一緒にご飯を食べて、一緒に話をして、楽しいときはみんなで楽しんで……そういうすべてを含めて鼓童なんだなあ、ということが2年間の研修生活でわかりました。
逆を言えば「いっつも一緒かい!」(笑)。地元にいたときは、学校で仲が悪くなっても地元に別の友だちがいるし、そこで喧嘩しても家には家族がいるじゃないですか。研修生活には逃げる場所がないんですよね。寝ても覚めても一緒にいるのは同期のこいつらっていう(笑)」
大塚「(笑)」
北林「当時は寝ても研修生活の夢を見ちゃって辛かったです。まるで『ドラゴンボール』の“精神と時の部屋”(笑)。普通の2年間じゃ絶対に詰め込めない密度でした」
大塚「玲央が言ったように、朝みんなで集まって体操して掃除して、ランニングして農作業もやって……、自分が“生きる”というところから学び直された感じがあって。全部がつながってるんだということに研修所で気づきました。
みんなでいろんなことを分かち合って本気でやることの普遍性のようなものを学びました……って綺麗に言っちゃうとあれなんですけど。自分のこともすごい嫌になったりしましたし、そういう自分を変えていくのが辛かったです」
“自分と向き合い続けること”の辛さ
北林「研修生のときに一度、“いままでの自分らしさがなくなっちゃったんじゃないか”と悩んでしまって。それは演奏だけの話ではなく、もっと深い自分自身のところで。
研修中は自分のことを考える時間も増えるんです。だって携帯やスマホも禁止だし、テレビも見られない。研修所には1日前の新聞が届くだけなんですよ(笑)」
大塚「いま思うと、あれはあれで恵まれていたなと思いますね。戻りたくはないですけど(笑)」
北林「いままであった余計なものがなくなった分、考えなくてもよかった部分を考えだして……、それに耐えられなくて辞めてしまう人もいるんですけど」
大塚「僕は研修所を出て、準メンバーになったときにすごく迷いました。研修所にいたときはカリキュラムが与えられていたのですが、準メンバーになると全部自分で選択しなければいけない環境になって。
それまではずっと受動的だったんですけど、はじめて自分が本当にやりたいことはなんなんだろう、と考えるようになりました。そこでやっぱり太鼓に戻ってきて、太鼓が好きだなと。いまもまだまだ未熟ですが、自分のことは前よりちょっとだけわかってきた気もします」