両親が僕にしてくれた以上のことを、自分の子供たちにいつかしてあげたい

撮影:山口真由子

――岡田さんに反抗期がなかった、というのは、やはり学生時代は常に野球に熱中していたからでしょうか?

野球も一つの要因かとは思いますけど、一番は両親の存在ですね。素敵な2人だったから、僕は怒られても、僕が悪いです、ごめんなさい、って謝っていました。

「あなたたちが間違っている!」という気持ちが、僕の中に芽生えなかったです。

もしかしたら両親の方が間違えていたかも知れないし、ある種の思い込みみたいなところもあったかも知れないけど、そうだとしても、僕はあの2人の下に生まれて良かったと、心の底から思えます。

唯一、ぶつかったのは僕が芸能界に入りたい、と言ったときくらいです。

2人が僕にとって良いと思っている選択肢が、僕にとって一番良い選択肢とは限らない、と。当時、18歳でしたし、その年齢から働く人もいれば、大学に行く人もいて、いろんな選択肢が広がるこの時期に、今までみたいに甘えてはいけない、とも思いました。でもぶつかったのはそのときだけで、それ以降は全くないですね。

――ご両親にはどんな風に育ててもらったのですか?

僕を子供扱いせずに、一人間として見てくれていました。逆に言うと、親も親ぶっていなかったですね。

ある日、突然、母がすごく大きな物音を立てたんです。

それで僕も姉も父もびっくりして話を聞くと、「私だってイライラすることはある」と言われて、みんな「確かにそうだよな」って、納得したんです。

それで母がキツそうなときは、掃除や皿洗いを手伝ったりしたんですが、それに対して母も傲慢にならずに「ありがとう」とか、「ごめんね」って言ってくれて。そういう話がちゃんとできる家族でした。

あとは僕が何かをしたいとか、欲しいというときは、その理由を説明するように言われていました。グローブがほしかったとしたら、前のはこうで、今回のはこうだから、僕はこれが自分に合うと思っている、とか。

――自分で考える、ということを大事にしてくださっていたんですね。

だから僕も両親が僕にしてくれた以上のことを、自分の子供たちにいつかしてあげたいな、と思っています。

というか、それをすることが親への最大の恩返しになると、父から言われました。自分の父親ながら、カッコイイな、と(笑)。

撮影:山口真由子

――そんな風にご両親からもらった言葉で印象に残っているものはありますか?

今言ったことは、そうですね。僕の家は周りと比べるとわりと厳格な方だったと思うんです。

高校生になっても携帯を持てなかったし、お小遣いも少ない方だったし。当時は「俺だけなんで?」って、嫌だったんですけど、今考えると、それって大したことないじゃないですか。

持っている人に価値があるわけじゃないし、持ってないからといって価値のない人でもない。そういうことの大切さを、21歳の今の僕に気づかせるために、当時は与えなかったんだよ、って。

あの頃の両親の姿を思い返すと、そんな風に言われているような気がします。

あと、昔からずっと父親から言われていたのは「無理はしても、無茶はするな」ということでした。無理をするぐらい何事も常に全力であれ、手を抜くな、と。そうやっても失敗したら、それは仕方ないし、成功につながったら、それはラッキーという感じで。

ただ僕は幼少期から割と打率が高い方で。運動にしても、勉強にしても、運にしても、ラッキーの方が多くて、その成功体験があるから、今も努力をすることを惜しまないでいられるのかな、と思います。逆に努力をしていないと怖いと思ってしまいますね。