恐山です。

ここ数年「コスパ」という言葉を目にする機会が増えました。コスパ=コストパフォーマンス。費用対効果を指します。

誰だって最小限の労力で最大限の利益を得たいわけですから、みんなコスパを重視するのは当然ですね。

さて、「コスパのいい話」と聞いて、何を思い浮かべるでしょうか。私は『わらしべ長者』を思い浮かべます。

【あらすじ】
昔、あるところに貧乏な男がいた。彼が藁しべの先にアブをつけて飛ばしながら歩いていると、子供が面白がってそれを欲しがった。男はその藁しべと子供のミカンを交換する。
さらに歩いていると、喉の乾いた人がいた。男がミカンを差し出すと、お礼に高級な反物を貰った。
すると、病気の馬を連れた侍がやってきた。先を急ぐため馬を手放さなければならないと言う侍は、喜んで馬と反物を交換する。馬は水を飲むとすぐに元気を取り戻した。
馬を連れて歩いていると、引っ越しをしようとしている金持ちがいた。移動のために馬を譲ってくれたら家をあげてもいいと言う。こうして男は、わらしべ一本から長者になったのだった。

わらしべ→ミカン→反物→馬→家の順で物々交換して長者になるという有名な民話です。

すごいのは、この話には道徳的教訓がほぼないことです。「困ってる人を助けよう」というには利益が先行しすぎている。そもそも話が都合がよすぎです。引っ越すからって今まで住んでた家あげないだろ。

思うに、この話が語り継がれてきた原因は道徳的価値ではなくコスパのよさにあるのではないでしょうか。

「やべえ、超コスパいいわ」って、その一点でウケたんじゃないの、コレ?

 

わらしべ長者をチャートにしてみる

確かめるために、この昔話をチャート式の図解にしてみましょう。

 

 

 

赤い矢印がこの話におけるトゥルーエンド、そのほかの色付き矢印は選択によってありえた他の4つのエンドです。

たとえば紫の矢印はわらしべを欲しがる子どもを無視して何も起きないまま終わる「なんかわらしべ持ってる人エンド」です。

ほかは「ミカンエンド」「反物エンド」「馬エンド」となるので、主人公の選択「豪邸エンド」はこの話の中では最適解、もっともコスパがよいといえます。

やはりわらしべ長者はコスパがよかったですね。

じゃあ、ほかの昔話のコスパはどうなっているでしょうか?