撮影/奥田耕平

差別は、いけない。そんなことはきっとみんなわかっている。でも今日も、誰かが、誰かを差別する。どれだけ文化的に発展しても、この世から差別はなくならないのかもしれない、人が人である限り。

文豪・島崎藤村が『破戒』を発表したのは1905年のこと。同作で島崎藤村は部落差別を題材に選んだが、それから100年余が過ぎた今も、差別はあらゆるかたちで存在している。

「この映画を通して思ったのは、世界はひとつじゃないということ」

俳優・間宮祥太朗はそう語りはじめた。60年ぶりの映画化となった『破戒』で、間宮は被差別部落出身の主人公・瀬川丑松を演じた。エンタメシーンの第一線で活躍する旬の人気俳優は、島崎藤村の名作の世界を生きて、どんなことを感じたのだろうか。

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わかり合えないことは、やるせないけど仕方ない

撮影/奥田耕平

「たとえば今こうして取材をしている中でも、それぞれの立場があって、それぞれの人生を生きていて、昨日あったことはそれぞれ別で、もしかしたらこうやって話しながら、意識は別のところに向いているかもしれない。同じ場や状況を共有していても、見えている世界は別なんですよね」

だから、世界はひとつではない。人の数だけ世界があり、それを完全に分かち合うことは決して容易ではない。

「劇中の言葉(※『破戒』は1904年に勃発した日露戦争の最中の話)を借りると、『ロシアにはロシアの言い分があって、日本には日本の言い分がある』。もっと分けると、ロシアの中でも国民一人一人の正義があって、自分の思う正義と反対のものを認めることはすごく難しい。だから、どうしても分かち合える人と分かち合えない人っていうのは存在してしまうものなのかなと思います」

幼い頃は、どんな人とでもわかり合えると無邪気に信じられた。けれど、成長し、それぞれの主義や思想の違いを知る中で、物事はそんなに単純でないと知る。それは悲しいことにも思えるが、間宮は「悲しいっていう感情ではないかな」と語る。

「仕方のないことのような気がします。これが人間のややこしいところで。言語とか、価値とか、立場とか、いろんなものが人間にはあるので、そう簡単にいかないというか。これが動物だったら、ライオンとインパラがわかり合えないって言っても、そういう話じゃない気がするんですけどね(笑)。

人間は自然の理だけじゃない何かを持って生きている生き物だから、わかり合えないのは仕方ない気がする。ただ、それについてやるせないな、とは思います」