自分で勝手に自分を追い込んでしまったのは、初めての体験

撮影/川野結李歌

――川澄というキャラクターも、ひと言で語るのが難しい多面性を持ったキャラクターだったのではないでしょうか?

最初から森監督と僕の思う“川澄像”はほぼ同じだったので、それほど苦労はしなかったです。

川澄の人間臭さって、すごく絶妙なポジションで。バカだけどバカじゃないし、元はヤンチャだったからといって“元ヤンチャでした”みたいなステレオタイプな大人にしてもつまらない。彼もそれなりの経験はしてきているし、いろいろなものを見てきているはずですから。

ただ川澄も視聴者と同じタイミングで、目の前で起こる出来事に驚いている。ストーリーテラーでもあるので、そこのポジションの難しさはありました。

あとは川澄なりの“想い”を持って生きている、その塩梅です。あまり強くやり過ぎると滑稽になるけど、時としてはやり過ぎた方が効果的にもなる……。柴崎との陰影や、川澄の家族の中での立ち位置も難しかったです。

一見分かりやすそうな人物なのに、実はなかなかつかみどころがない。そんな面白い人物だったなと思います。

――「限界まで全てを絞り出しました」ともコメントされていましたが、撮影中はかなりのめり込まれていた……?

完全にのめり込んでいたし、役に(自分を)持っていかれていました。メンタル的にもフィジカル的にも自分で勝手に自分を追い込んでしまったのは、初めての体験でした。

ちょっと体が故障したりもしたんですが、その体が壊れていく感じが、“芝居じゃない芝居”といい感じにブレンドされていって、川澄としてはいい形の立ち方になったり。下半身の踏ん張りがきかない、よたよたした枯れたおっさんになって、そこも川澄と重なっていきました。それくらい自分としてはちゃんと役に対して夢中になれていたので、よかったなと思います。

撮影/川野結李歌

――ではクランクアップしたときは、解放感でいっぱいだったのでしょうか。

解放された感じにはなりましたが、「本当に終わったんだ」という感じの方が強かったかもしれません。今回は役に集中し過ぎるくらい集中していたので、体にも心にも結構な負担がきていまして(苦笑)。撮影が終わった嬉しさよりも、「撮影が終わって大丈夫かな。明日から普通の生活に戻れるのかな」という怖さがありました。

川澄は演じるにはきつい役ですが、まだ演じている間の方が楽なんです。明日からまた違う作品への準備をすることなんて、「本当に自分にできるのか?」という気持ちでした。

――それも含め初めての体験が多かったのですね。

それは森監督によるところも大きいと思います。いつか森監督とはバッチバチにご一緒したかったし、森作品はそういうものだと思っていました。実際何日か演出を受けてみて、やっぱり森監督って芝居じゃないんだなと。小手先の芝居を求めている方じゃなく、生きざまをそのまま出すことを求められるんです。

役として背負っているものを、俳優がどう考えて現場でそれを表すのか。川澄も芝居だけでやっていたら、おそらくペラペラなんですよ。それを気持ちから作って、心で演じられるところまでのめり込んでいけたのは、結果的にはそうしないと森監督の心には届かなかったからということです。

――かなりテイクも重ねられたのでしょうか?

どんな想いを持って現場に来ているか、そこに到達するまでが問題なので、なんなら1発OKが多かったくらいです。2テイク目、3テイク目はどんどん想いが弱まっていってしまうし、僕もファーストテイクが一番好きなのでそこもやりやすかったです。