「誰もが自分に自信を持っているわけではない」ことを知ろう

人の輪のなかで笑顔で会話をしている人、相手の求めることを察してすぐ動ける人、自分の意見を臆さず口にする人を見れば、それができる理由に「自分に自信があるのだろうな」と感じます。

行動力は心の方向の現れであり、動けるのはそうする自分に違和感がないからです。

ではその人がこれまでもずっとそうだったのか、自分と同じように悩んだり苦しんだりする時期はなかったのかと考えると、答えはわかりません。

もしかしたら、自分よりもっとひどい劣等感や虚無感で暗い沼の底をさまよっていたのかもしれず、そこから這い上がった姿が今である可能性は捨てられません。

自信があるように見えても、その人の過去はどうだったのか、背負っている背景には何があるのか、わからないのであれば「最初からこうだった」とは言い切れないはずです。

人それぞれ考え方や価値観は違っていて、すれ違いも衝突も当たり前に起こります。

自分のような経験をほかの人もしているのでは、という視点は、「誰もが自信を持っているわけではない」と視野が広がります。

筆者の場合でいえば、以前は他人に依存することがやめられず、相手に好かれることで自分の価値を確認していました。

自分の在り方を他人に決めてもらう状態で、胸を張って自分に「それでいい」と言える瞬間などありませんでした。

その自分に嫌気がさして変わった今は、人と関わりたい意欲を正面から「それでいい」と受け止め、できることに力を尽くしています。

自分の在り方に自信を持つことに他人の承認は決して必要ではなく、まず誰よりも自分自身がOKを出せることが、自己肯定感といえます。

悩むのも苦しむのも、変わりたいと思うからです。

ダメな自分でもいいと本当に思っているのなら、在り方を変化させる努力など考えません。

いま目の前で穏やかな笑顔で話をしている人が、そうなるためにどんな努力を自分に強いてきたか、「誰もが最初から自信を持ってそこにいるわけではない」と思えば、自分もそうなれるのだという可能性に気がつきます。