「動ける力」はどこから生まれるのか
筆者の経験で恐縮ですが、言動を自分で決められるようになったのは、「こう在りたい」という本音を掴んだ後からでした。
相手の思惑に関係なく「私はどう在りたいのか」、自分の気持ちを客観的に見て居心地のよさを考える、それを叶えるためにどう振る舞えばいいのかを想像できてから、自信を持って動けるようになりました。
それは相手ではなく自分のためであり、相手に依存して存在するのではなく「私」の足で立つ力です。
これをエゴイズム、自己主義だと感じる人もいますが、心が自立していない人ほど自信を持って動く人を「自分のできないことをしている」と歪んだ目で否定してくるので、そんな人は「合わない人」として置いておくのが正解です。
本音に従って動けば、後悔が残りません。
「ああすればよかった」と思うことほど自分を苦しめる時間はなく、それが在り方を不安定にします。
「動ける力」は自分で作るのが当たり前、その姿勢が結果に苦しまない心の器を強くします。
自信がないのは自分を信じることができない状態、それは「私はこう在りたい」を知らないから。
本音や本心をしっかりと見つめることは、もうひとりの自分との対話です。「もうひとりの私」はどんな言葉を持っているのか、何を自分に伝えたいのか、向き合う力がその後の行動力を生みます。
人は等しく尊重される存在なら、まずは自分自身が「私」を大切にしてあげる、本音に耳を傾けてそれを叶えてあげようとする意思を、大切にしたいですね。
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自信を失うとき、必ず「ダメな自分」がいます。ですが、それは本当に「ダメ」なのか、決めるのは誰なのか、を忘れてはいけません。
自分を信じて動いたことならそれでいいとする強さが、どんなときでもむやみに落ち込むのを避けるコツ。
自分の本音を知ることから逃げない力を持ちたいですね。