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希有な攻撃センスを育んだ背景には、「フットボール一家」として知られる実家の環境がある。

彼が生まれ育ったのは、ベルギー西部、フランス側に位置するエノー州のラ・ルヴィエールという街だ。父ティエリーは、ベルギーの下部リーグでプレーした元選手。父も選手だったという出自は決して珍しくないが、アザールは母親もフットボーラーだった。ベルギーの女子リーグでプレーしていた母カリーヌは、エデンを身ごもった後も3カ月ほどプレーを続けていたという。優秀なアタッカーだったという母がテクニックを駆使して相手ゴールに迫るのを、息子はお腹の中で感じていたわけだ。

「きっと、母が僕にテクニックを与えてくれたんだと思う。母のプレーを見たことはないけれど、凄いストライカーだったと聞いている。だからプレースタイルは母親譲りだろうね。父はいつも冷静にボールをさばくDFだったから」

しかも、実家の隣には塀を挟んでわずか5メートルの距離にグラウンドがあった。少年エデンは、そこで朝から晩までボールを蹴って過ごしたという。目が肥えた両親がいたにも関わらず、本人曰く「プレーに関しては褒められたことしかなかった」という。厳しく指導するよりも、とにかく自由に楽しめ。これがアザール家の方針だった。

一家には長兄エデンの下に、2歳下のトルガン、5歳下のキリアン、13歳下のエタンと3人の弟がいる。まだ小さい末っ子のエタン以外は、いずれもプロの世界に進んでいる。兄を追ってチェルシーと契約した次男トルガンはローン先のズルテ・ワレヘムで現在、ゴールを量産している。三男キリアンは今夏、リールの下部組織からベルギー2部のWSブリュッセルズに加入し、18歳にして背番号10を背負っている。彼らはいずれも攻撃的なポジションでアイデアを発揮する選手に育った。攻撃のメンタリティーはアザール家の血筋なのだ。

 

「エレガントなプレー」を志したアザール

黄金世代をそろえ、来年のワールドカップで台風の目と言われるベルギー代表だが、主力の多くは若くして母国を飛び出し、近隣諸国のアカデミーで学んでいる。アザールもその例に漏れず、地元のクラブでプレーしていた14歳のときにスカウトの目に留まり、リールの下部組織に加わった。

16歳でプロ契約を結び、その半年後に初めてリーグ・アンのピッチに立つと、プロ2年目の後半にはレギュラーに定着。そのシーズンにリーグ・アンの年間最優秀若手選手を受賞した際には、フランスの英雄ジネディーヌ・ジダンが「レアル・マドリーは彼を獲得すべき」と発言した。「エレガントなプレー」を志すアザールにとって、ジダンは幼い頃からのアイドル。この言葉は何よりも自信になったに違いない。

翌年には2度目のリーグ・アン年間最優秀若手選手に輝き、その頃には現ローマのルディ・ガルシア監督が率いた“ヤング・リール”で攻撃サッカーの先頭に立っていた。そして2010-11シーズン、20歳を迎えたアザールはリールの英雄となる。17ゴール15アシストの活躍でチームを57年ぶりのリーグ制覇に導き、年間最優秀選手に上り詰めたのだ。翌シーズンはリーグ連覇こそ逃したものの、20得点15アシストと前年の自己成績を更新。リーグ・アン史上初の2年連続年間最優秀選手にも輝いた。リーグで最も多くファールを受けながら、ケガなく全試合に出ての数字だ。もはや、彼を止められる選手はリーグ・アンにいなかった。