ピッチに立ったアザールは強気でふてぶてしく、何者も恐れない
2012年夏、数々のオファーから選んだ新天地はチェルシーだった。アレックス・ファーガソンが自ら視察に赴いたマンチェスター・ユナイテッド、最高の給料と移籍金を用意したマンチェスター・シティの誘いを断り、アザールは「チームが若いし、より出場機会がもらえると思った」との理由で前年の欧州王者を選ぶ。
ウィガンとの開幕戦で先発すると、開始2分でいきなり魅せた。センターサークル内で、相手を背負う形でボールを受けたアザールは、ワンタッチで華麗に相手をかわすと、オーバーラップする右SBのブラニスラフ・イヴァノヴィッチに正確なスルーパスを通す。初アシストの4分後には、果敢な仕掛けから相手のファールを誘い、PKを奪い取った。
奴は危険だ―――。そう感じたウィガンのDFたちは、アザールがボールを持つと思いっきり身体をぶつけ、小柄な新人MFを潰しにかかった。この試合でも、アザールはピッチ上で最も多くのファールを受けている。しかし、倒された回数以上に、そのスピードとスキルで相手をかわす回数の方が多かった。当時ウィガンの監督だったロベルト・マルティネスは、「少しでもスペースを与えて一対一になったら止められない」と舌を巻いた。チェルシーの監督だったロベルト・ディ・マッテオも、「ジャンフランコ・ゾラは類い希なアーティストだったが、エデンもアーティストになれるかもしれない」とクラブのレジェンドを引き合いに出して最大級の賛辞を贈った。
その後の活躍は広く知られている通りだ。リーグ・アンよりレベルが高く、フィジカル重視で、小柄なテクニシャンは適応が難しいと言われるプレミアリーグでも、彼はこれまでと同様にスピードと創造力をいかんなく発揮した。フランスですべてを勝ち取った男は、プレミアリーグでも1年目からリーグ年間ベストイレブンに選ばれた。
「選手にとって、どこのピッチに立っていたって同じことなんだ。イングランドにいるか、フランスにいるかは問題じゃない」。
そうアザールは語るが、自由な発想を形にするという意味では、両親に見守られ、弟たちと技を磨いた実家の隣のグラウンドからずっとボールに対する接し方は変わっていないのかもしれない。
ユニフォームを青から赤に変えてプレーするベルギー代表でも、アザールは背番号10を背負い、母国を3大会ぶりとなるW杯出場に導いた。一般的に「謙虚で内気」というイメージを持たれるベルギー人だが、ピッチに立ったアザールは強気でふてぶてしく、何者も恐れない。どんなにファールを受けても、劣勢でチャンスが限られても、アザールはたったワンプレーで局面を打開してしまう。ブラジルの地で、どんなチームを相手にしても、アザールはいつも通りに愛するサッカーを楽しむのだろう。そこにはきっと、フランスやイングランドのスタジアムと同じように、彼のプレーに魅了された観客のため息が聞こえるはずだ。
※本記事は「FOOTBALL DAYS Vol.1」 (2013/12/17発売)の記事を再掲載したものです。