大衆が木村拓哉を「手に入れる」ために生まれた「キムタク」
言うまでもなく、木村拓哉は芸人ではない。タモリでもなければ、ビートたけしでもなく、明石家さんまでもない。しかし、タモリがタモリであるのと、たけしがたけしであるのと、さんまがさんまであるのと同じようなことを求めつづけられている。
昭和の価値観と呼んでいいと思うが、こうした「時代錯誤」が、1987年(それは昭和最後の年だった)に6人組アイドルグループ、SMAPの一員としてデビューした木村拓哉には仮託されている。
タモリ論も、たけし論も、さんま論も、多くの場所で書かれている。しかし、まともな木村拓哉論は書かれることがない。それどころか、思考停止を宣言するような言説があるときから、まことしやかに流布されるようになった。それは「キムタクはなにをやってもキムタク」という言説である。
キムタクという呼び名がいつから一般化したかはわからない。しかし、当初はたとえば豊川悦司がトヨエツと呼ばれるのと大差ない略称だったはずだ。ニックネーム(たとえば沢田研二をジュリーと呼ぶような)とは明確に差別するべき、こうした略称を用いる大衆心理は、大まかに次のように表現できるかもしない。
手に入らない存在を、あたかも手に入れたかのように、積極的に誤解する。
「木村」はありふれた苗字であり、「タクヤ」という音の名もやはり珍しいものではない。だからこそ「キムタク」という略称は有効だったし、それゆえに、大衆は木村拓哉を「手に入れた」かのような親近感を得た。そして、それはおそらく、あるときまで、愛称の領域に属するものだっただろう。
しかし、あるときから、「キムタク」には侮蔑の意味が加わることになる。それこそ、「タモさん」「たけちゃん」「さんちゃん」などの愛称にはあるはずもない悪意が浮上するようになった。そして、それはきわめて21世紀的な現象と言わねばならない。
「キムタクはなにをやってもキムタク」という不寛容
木村拓哉の最前線はどこにあるのか。わたしたちは理解している。それは、ドラマ、映画を含む映像作品の演技以外にない。
SMAPのなかでも、特殊なポジションに位置する木村拓哉は、他の4人のように単独で出演するレギュラーのバラエティ番組がない。番組宣伝、映画宣伝などでゲスト出演することはあっても、ラジオ番組以外で、彼のパーソナリティが固定化されて発信されることはない。この「素の不認知」が、結果的に、木村拓哉というブランド力を、言ってみれば「孤高」のレベルに高めたと考えることは充分可能だ。
日本中の誰もが木村拓哉を知っている。しかし、その「素」は浸透していない。こうした落差が、木村拓哉の「像」をかたちづくってきたこともまた事実だろう。
しかし、大衆がかつてないほど「素」を求める現在、こうした「素の不認知」は、思わぬ不寛容を導き出すことになった。「キムタクはなにをやってもキムタク」――これは彼が演じる主人公像の同一性に対する揶揄であるばかりでなく、その演技に変容が見られず、きわめて平板であるとの見解を堂々と申し渡す言説である。
前述したように、ソロ活動における木村拓哉の主戦場は、映像メディアの演技にある。「キムタクはなにをやってもキムタク」は、木村拓哉の主戦場の否定であり、彼は、あるときから、新作がリリースされるたびに、この、通り一遍の罵倒にさらされるようになった。