二次障害で苦しまないために

もし、特別な配慮をされなかった場合、小学校6年間、理解されず適切な支援を受けられなかったツケは大きいです。
思春期以降、鬱、リストカット、他害、精神疾患と言った元々起こっていなかった二つ目の障害“二次障害”で親子とも苦しむことになります。

これは元々あった脳の障害ではないので防げたはずのものです。

「難しかったらドロップアウトさせる」のは可能?

学校選択は行政の判断よりも親の意思がまず優先されます。

だから「普通学級では難しい」と言われたのにも関わらず、親の意思で何が何でも普通学級を選択する親が出てきます。「とりあえず普通学級に通わせて、もし途中でついていけなくなったら特別支援学級にかわろう」と考える人がいます。

けれども、子どもにとっての1年は大人の10年分くらい大きな意味を持ちます。1日1日、一瞬一瞬がとても大切です。ですから「様子をみよう」といたずらに月日をやり過ごすことはよくありません。
この段階でかなりの心の傷を負い、二次障害を起こしてしまうからです。

そして、「自分だけが出来ない。どんなに頑張ってもお友達と同じように出来ない」体験は、子どものプライドをズタズタにし、自己肯定感を失わせます。
その時点になってから支援学級に移り「あなたは価値がある人間なんですよ」と教育を始めても元に戻すのはかなり時間がかかります。

“まず小さな集団である特別支援学級に入れ、成長をみて普通学級にかわる”この順番が良い順番です 。

“こうあるべき”ではなく“あるがまま”を受け入れる

子育ての仕方のスイッチモードを切り替えましょう。
決して「できるだけ健常児に近づけよう」なんて思わないことです。

個性の一つ、性格の問題としたくなる気持ちもわかりますが、そうではないのです。どんなに努力しても健常児にはならないのです。死ぬまで障害を抱えて生きて行かなくてはならないのです。お爺さんお婆さんになっても自閉症は自閉症、学習障害は学習障害なのです。

愛があるなら受け入れよう

親が健常者であれば「障害があることは不幸なことだ」という固定観念があります。
だから、健常児に出来るだけ近づけることを夢見て「幸せになってほしい」と願います。

でも、もっとも不幸なことは、親が認めてやらないことと、自分が幸福感を得られない場に毎日登校しなくてはならないことです。「自分には価値がある」という人生を切り開いていくための大事な武器“自己肯定感”を築くことができないまま大人になっていきます。

人生は連続です。子育ては今の眼先、1~2年先を見ていてはいけません。幼児期に適切な支援をしなかったしっぺ返しが後になって必ず来ます。
そしてその時点で人生を巻き戻そうとしても、幼児期に戻って育て直しは出来ないのです。

障害があることはちょっと不便で支援が必要だけど、不幸なことではないんですよ。どんな子だってあなたのかけがえのない我が子です。