五体不満足な子
乙武洋匡さんには、何故、あんなに自信満々な顔、自己肯定感があるのでしょう。彼に手足がないなんてこれっぽっちも感じさせません。
そんな今の乙武さんを作ったのはお母さんです。
最後に乙武洋匡さんの著書抜粋を読んでください。
『昭和51年4月6日。満開の桜に、やわらかな陽射し。やさしい1日だった。オギャー、オギャー」火が付いたかのような泣き声とともに、ひとりの赤ん坊が生まれた。元気な男の子だ。平凡な夫婦の、平凡な出産。ただひとつ、その男の子に手と足がないということ以外は。先天性四肢切断。分かりやすく言えば、あなたには生まれつき手と足がありませんという障害だ・・・・本来ならば、出産後に感動の「母子ご対面」となる。しかし、出産直後の母親に知らせるのはショックが大きすぎるという配慮から、「黄疸が激しい」という理由で、母とボクはーヵ月間も会うことが許されなかった。それにしても、母はなんとのんびりした人なのだろう。黄疸が激しいという理由だけで、自分の子どもにーヵ月間も会えないなどという話があるだろうか。しかも、まだ見ぬ我が子だ。「あら、そうなの」となんの疑いも持たずにいた母は、ある意味「超人」だと思う。対面の日が来た。病院に向かう途中、息子に会えなかったのは黄疸が理由ではないことが告げられた。やはり、母は動揺を隠せない。結局、手も足もないということまでは話すことができず、身体に少し異常があるということだけに留められた。あとは、実際に子どもに会って、事態を把握してもらおうというわけだ。
病院でも、それなりの準備がされていた。血の気が引いて、その場で卒倒してしまうかもしれないと、空きベッドがひとつ用意されていた。父や病院、そして母の緊張は高まっていく。「その瞬間」は、意外な形で迎えられた。
「かわいい」─母の口をついて出てきた言葉は、そこに居合わせた人々の予期に反するものだった。泣き出し、取り乱してしまうかもしれない。気を失い、倒れ込んでしまうかもしれない。そういった心配は、すべて杷憂に終わった。
自分のお腹を痛めて産んだ子どもに、1ヵ月間も会えなかったのだ。手足 がないことへの驚きよりも、やっと我が子に会うことができた喜びが上回ったのだろう。
この「母子初対面」の成功は、傍から見る以上に意味のあるものだったと思う。人と出会った時の第一印象というのは、なかなか消えないものだ。後になっても、その印象を引きずってしまうことも少なくない。まして、それが「親と子の」初対面となれば、その重要性は計り知れないだろう。母が、ボクに対して初めて抱いた感情は、「驚き」「悲しみ」ではなく、「喜び」だった。生後1ヵ月、ようやくボクは「誕生」した。』
後書きにはこうも書いてある。
『これから生まれてくる子どもに対して、親が馳せる想いはさまざまだろうが、最低限の条件として、このような言葉をよく耳にする。
“五体満足でさえ生まれてくれれば…”だが、ボクは、五体不満足な子として生まれた。不満足どころか、五体のうち四体までがない。そう考えると、ボクは最低条件すら満たすことのできなかった、親不孝な息子ということになる。だが、その見方も正しくはないようだ。両親は、ボクが障害者として生まれたことで、嘆き悲しむようなこともなかったし、どんな子を育てるにしても苦労はつきものと、意にも介さない様子だった。何より、ボク自身が毎日の生活を楽しんでいる。多くの友人に囲まれ、車椅子とともに飛び歩く今の生活に、何ひとつ不満はない。』