「あの人気持ち悪い」

次の文章は、ある人がFacebookに載せていた投稿です。

“娘を連れて遊びに行く公園には、時々、介護人に付き添われた重い障害がある青年がブランコに乗りに来る。

青年の付き添いの介護人が申し訳なさそうにこう言った。

「すみません、この人はブランコが好きなんです。落ち着くまで、お嬢様のお隣でブランコを使わせて頂いてもよろしいでしょうか」

私が「どうぞお使いください。ここは公共のスペースですから、私たちに遠慮は要りませんよ。」

介護人「どうもありがとうございます!!」

と、ちょっと泣きそうな表情になってお礼を言った。

ところが私の娘が「ねえ、あのお兄さん変だよ!気持ち悪いよ!」と言う。

介護人がそれを耳にして「ごめんなさいね〜。」と娘に謝った。

私は「どうぞ謝らないでください」と言って娘にこう叱る。

「このお兄さんは『となりのブランコ使って良い?』とか、自分の考えを言葉で言う事が出来ないの。あなたと同じ、ブランコで遊びたいから来たのよ。ここは誰の公園?」

娘「みんなの公園!」

私「そう。みんなの公園ということは、あなたの公園でもあり、このお兄さんの公園でもあるの。あなたがブランコで遊びたいからここに来て、隣にいる子から『気持ち悪い』って自分の事を言われたらどう思う?」

娘「すごく悲しい」

私「だから、自分とちょっとぐらい違っても『気持ち悪い』なんて言わないで。このお兄さんも言葉でうまく言えないだけで、心は深く傷ついてると思うよ」

娘「……ごめんなさい」

このやり取りを聞いて介護人が言う。

「どうもありがとうございます!!」

私は思う。「何もお礼を言われるような事はしていない。みんなの公園なんだから、当たり前じゃないか…」

そして、私達が帰る時、

「本当にどうもありがとうございます!!」

と介護人が深々と頭を下げた。

「お兄ちゃん、バイバイ」と笑顔で手を振った娘だった”

このように、親がしっかりと対応をしたことで、子どもは自分の過ちや、人の気持ちを考えることができました。

この子は、また公園で同じような人を見かけても、もう「気持ち悪い」と思うことはないでしょう。

ガラクタを交番に届けると言い張る子ども

3歳の子が、泥にまみれたヘアゴムを拾いました。その子は「誰かが落とした大事なものだから、おまわりさんに届ける」と言って聞きません。

その思いやりは素晴らしいことですが、親としてはちょっと困ってしまいますよね。

「そんな誰のだかわからない汚いゴム、その辺に置いておきなさい!」などと叱ってしまっては、子どもの優しい気持ちを潰してしまいます。

こんなときは、「そうね。失くした子は凄く悲しんでいるかもしれないね。ママが後で交番に届けておくね」と言ってやればよいのです。

子どもも年齢を重ねると、自然に‟届けなくてならない物とそうではない物“の区別はつくようになります。

障害のある青年を不審者と思い込む親

知的障害のある、自閉症の青年がいました。昼休みに、公園のベンチでジュースを飲むのが日課です。

ある日、ベンチに座っていると、子どもが遊んでいたボールが足元に転がってきました。

彼はボールを拾い上げると、子どもに近寄り渡しました。すると、そのママは「ありがとうございます」とお礼を言うどころか、サッと子どもを抱きかかえ、携帯電話を取り出しました。

そして警察へ「不審者がいる」と通報しました。

頻繁に電話があるので、警察はその青年をみると「また、きみだね」と慣れたふうに警察へ連行していき、青年の保護者に引き取りに来てもらいます。

引き取りに来た親は、今後わが子が不審者扱いされないために、息子に対して「ボールが転がってきても、拾って渡してあげてはダメなのよ」とおかしな躾をしなくてはならなくなりました。

ボールで遊んでいた子どものママが「ありがとうございます」と対応していれば、その子どもも同じように対応できるようになったかもしれません。

まとめ

親は子どもに「優しい心を持った人に育ってほしい」「相手の痛みをわかる人間に育ってほしい」と願うことがあります。

でも、子どもに見せる大人のちょっとした態度で、子どもの心は親の思いとは裏腹になってしまいます。

例に挙げた場面での親の態度や考え方で、子どものものの見方は全く変わってきます。参考にしてくださいね。