金色の窓
昔、小学校の教科書に「金色の窓」という物語がありました。
あらすじは、こういうお話です。
“貧しい家の男の子がいた。山の向こうの遠く離れた家の金色に輝く窓をいつも憧れて見ていた。ある日、その家を訪ねて行くと、その家の窓は普通のガラスの窓であった。そればかりか、そこからは男の子の家の窓が金色に見えた”
金色の窓とは、太陽が反射して見えていただけの窓でした。
青い鳥
「幸せの青い鳥」という物語もあります。あらすじはこうです。
“クリスマスの前の晩、貧しい木こりの息子チルチルと妹のミチルは、魔法使いのおばあさんにたのまれ、犬やネコのほか、光の精や水の精などのふしぎなお供をつれて、夢の中の世界へ青い鳥をさがしに出かけます。
けれども、思い出の国へ行っても、幸福の国へ行っても、未来の国へ行っても青い鳥はみつかりません。やっと青い鳥をつかまえたと思うと、すぐ色がかわってしまいます。
やがて、朝になり、ふたりは目をさましました。するとどうでしょう、青い鳥は、木こり小屋の鳥かごの中にいるではありませんか。ほんとうの青い鳥(しあわせ)は、すぐそばの、自分たちの生活のなかにあったのです。“
筆者は長く独り身で、パートナーが出来てからも不妊症で治療していました。このままずっと自分だけのために生きるのかと思い、何とも言えない気持ちになっていました。
でも、身勝手なことですが、今は発達障害のある息子のことで毎日悩んでいます。子どもは自分の命であり、宝であり、生き甲斐ですけれども、同時に心を掻き乱す元凶です。でもそれが親になると言うこと、自分が選んだ道なんだと感じています。
それに、仮に子どもが事故にあったり、縁起でもありませんが誘拐されたりしたことを考えたら、文句を言っていた自分を反省するでしょう。
自分以外の誰かのために生きるって大変なことですが、もしかして幸せなことなのかもしれません。それから、たとえわが子であっても自分以外の人間のことを常に考えているというのは、人として修業していることなのだと思います。
そうなると、目の前に居る我が子が金の窓、青い鳥なのかもしれません。
今、楽しそうに玩具で遊んでいる笑顔の我が子があなたの青い鳥です。子どもを産んだ頃の感動を今一度思い返して今ある幸せ、宝物に目を向けてみませんか。