個性か障害と分ける意味?
いつの時代も「障害か個性か」の論争があります。
困りごとがないのならば、個性とか性格として、特に専門医師の診断を受ける必要もないのではないと筆者は感じています。
けれども、4歳過ぎているのに何度叱っても、信号を無視して道路に飛び出してしまう、スーパーから脱走してしまうので一緒に買い物に行けないなど日常生活を送っていくうえで支障があるのならば、専門機関にいって専門医に聞くのがよいでしょう。
診断を受けることによって
- 「子どもの努力不足ではない」と捉えることができる
- 「親の躾の問題ではない」ととらえることができる
これにより、子どもを責めることもなく、また親自身を責めることもなくなり、どうすればこの子は生きやすい日常を送れるか冷静になることができます。
また、ただ厳しく叱るのではなくその特性に合わせて何らかの援助や支援、配慮を周りの人からしてもらえます。
例えば次のような例です。
学習障害児(LD)の場合
目で見た文字を音声化する脳の部分に障害があるので、教科書が読めなかったり、字が書けなかったりします。
この場合、黒板を写させたり、ノートを取らせたりするのではなく、タブレットや音声読み上げソフトで学習させる方法があります。デイジー教科書という教材です。
自閉症の場合
聴覚過敏があり幼稚園で流される音楽が耐えられない、運動会で使われるピストルが恐くて仕方ないのならば、それを使うときだけ別の部屋で待機させる。皮膚の感覚過敏で粘土が触れないのならば、別の作業をさせるなどです。これで安心して園生活を送れます。
個性か障害かの議論よりも、「何に困っているか」に注目して
車椅子に乗っている人を「それは個性だ」とは言うことはありません。視覚障害があり白杖や盲導犬を連れている人に対しても言いません。
けれども見た目が普通でわかりにくい発達障害児に対しては「障害も個性だ」という言葉が盛んに使われているように感じます。
線引きが難しいのが発達障害という概念ですが、この曖昧模糊とした言葉に振り回されて個性か障害の議論したり、親子で苦しんだりするよりも、第三者(専門医や相談機関)の意見に耳を貸し、これからの子育ての仕方の方向転換が親も子も笑顔でいるためには必要だと思います。
皆さんはどう思いますか?