電車の中で化粧

Ⓒあべゆみこ

電車の中で化粧をする人は‟自分の顔の修復作業を人に見らえても恥ずかしくない脳”になっているそうです。脳科学者の澤口俊之先生の著書‟平然と車内で化粧する脳”によると“恥を知らない脳”に育ってしまっているらしいです。社会的知性が育っていない前頭連合野の脳機能障害だそうです。

きつい言葉ですね。

でも確かに親のこの姿を見せていると、それが当然に映り、もしかして将来、我が子も電車内で化粧をするタイプの女子に育ってしまうかもしれません。

体罰をすると暴力を奮う子になる

親が子どもを意のままに動かす方法として暴力の手段をとっていると、幼いうちは「痛いから」「怖いから」などの恐怖心で親が手を出すとおとなしくなります。

でも「本当に悪いことをした」とは思っていません。親の背丈を越した時に立場が逆転して親が子どもから暴力を振るわれるようになったり、将来、メンタル不全に陥ったりすることもあります。更に子どもが人の親になったとき、同じようにする連鎖が始まります。

“子育ての連鎖”と言う言葉があります。「人は自分が育てられたように我が子を育てる」という意味です。

自分自身が身体的虐待などの暴力を受けて育ったという親は、その経験から「子育てには体罰が必要」という、体罰を肯定的にとらえる養育観を持つことがある。こうした養育観を背景に「言ってもきかないときには叩いてでも教えるのが親の務め」といた具合に体罰をともない「しつけ」を日常化させやすい

出典(『子ども虐待 (講談社現代新書)』)

「言っても従わない場合は、叩いてでも教えるのが親の務め」という価値観が、幼い頃に育てられた経験を通して沁みついています。

自身の親を否定したくなく、「自分が叩かれるのは自分が悪いことをしているからだ」と健気にも思っていた過去の自分がそこにはいるのかもしれません。

更に「厳しく育てられたからこそ、今の自分がある。だから叩いてくれた親に今は感謝している」とまで思ってしまいます。このように「自分の人生を肯定したい」という想いがあるため、体罰を良しとしてしまうのかもしれませんね。

でも、自分の親の子育てを否定するのは辛いことですが、どこかでこの“負の連鎖”を断ち切らなくてはなりません。

‟子は親の鏡”、‟親の後姿を見て育つ”という名言。子どもは親の思い通りになんか育ちません。親がしているように育ってしまうので、少しだけ意識してみることも大切かもしれません。