(写真左より)中村憲剛、伊藤宏樹

大変だった“宏樹ロス”…

――それなのにアウェイのホテルなどでも一緒にいられる理由とは?

伊藤「何だろうね、あれ。バスや新幹線でも隣だったし」

中村「居心地がいいから。何を言っても大丈夫という安心感。たぶん。失礼な後輩ですよ。今、思えば」

伊藤「失礼極まりない後輩だよ(笑)」

中村「極まりない(笑)。だけど、昔からのフロンターレのサポーターは結構、知っているよね」

伊藤「ふたりのつながりで言うと、僕が(2013年に)引退するときに、憲剛は二人組(の練習相手)や隣に座る人がいなくなってさみしいんだろうなという話をしていたんだけど、この間、憲剛が引退するときに、(小林)悠が全く同じ話をしていたから『ああ、歴史っておもしろいな』というのは、個人的には思ったね」

中村「だって大変だったよ。“宏樹ロス”……」

伊藤「長くやったら、そうなるんですよ。やっぱり悠も憲剛と長く一緒にやって、そういう関係になった。それでまた、何年後かに悠が何を言うんだろう、というのは思います」

中村「宏樹さんの引退VTRを、当時、妻とずっと見ていてふたりで泣いていましたもん(笑)」

伊藤「あはは(笑)」

中村「うう……いなくなるって……。だから結構、大変だった。2014年から悠がそういう存在になるまでは本当に。要は、宏樹さんがやっていた役割を俺がやって、俺がやっていたことを悠がやらなくてはいけなくなったから。本当はタサ(田坂祐介)だったんですけどね、俺のなかでは。宏樹さん、俺、タサで、いつも3人一緒だった。だから、つなげていこうと。だけど、あいつ(田坂)はドイツに行ってしまった(笑)」

伊藤「そう」

中村「だから、後継者を探さなきゃいけなくなってしまった。タサは今も仲がいいし、俺と宏樹さんみたいな感じだけど、でも、いなくなっちゃったから、当時は慌てましたよね」

伊藤「あれは慌てたね(笑)」

中村「せっかく宏樹さんがフロンターレの先輩から受け継いできたものを、俺もちゃんと受け継いで、それをタサにつないで、(その次は)悠と決めていたのに、いなくなったから結構大変だったよね」

――確かに、考えると中村選手と小林選手の間が、世代的にも少し空いている感じはあります。

伊藤「年齢的にね」

中村「タサやタニ(谷口博之)だったんだけど、間にいた選手は全員、菊地(光将)も横山(知伸)も移籍しやがった(笑)」

伊藤「しやがったって(笑)」

中村「だから俺が頑張んなきゃいけなかったんですよ。宏樹さんがいなくなって、いかに宏樹さんが、あらゆる日陰の仕事をやっていたかがわかったから」

伊藤「それ、もうちょっと大きな声で言ったほうがいいよ(笑)」

中村「(笑)。要は、俺と宏樹さんは“表と裏”ではないけど、俺が表面をやって、宏樹さんが裏面のマネージメントというかチームの雰囲気作りを含めて、いろいろなところに目を届かせてくれていたことに初めて気付いた」

伊藤「俺らはチームキャプテン・ゲームキャプテンみたいな感じで別れていて、ふたり(の間)では『ふたりで一人前だな』みたいな自覚があった。お互いにないところを補いながらね。

そういうのも含めて、僕が引退してからの憲剛には注目していましたけど、そこからの憲剛の歩みは成績にも出ていますけど、周りに伝えることを含めて後輩たちを育ててきたところがあるし、今のチームを作り上げるためにすごく貢献したと思います。本当にすごいと思いますよ」