剥き出しの俳優と言葉だけが劇場にある生々しさ

藤田俊太郎 撮影:源賀津己

――稽古一回、本番一回は、当初から決められていたのですか?

作家のA.R.ガーニーさんのプロダクションノートに、書かれているんです。一度だけ稽古をして、俳優が最も新鮮な、気持ちの揺れを……この“揺れ”には二つの意味があると思います。高揚と、不安と。その両方を持った状態で、初めてその手紙を読むように演じてほしい、と。

初めてラヴレターをもらって読んだ時の興奮、読んでいくうちに覚える不安…、両方ありますよね。その高揚感と不安を持ち続けてほしいというのが、稽古一回、本番一回に込められた意味だと、俳優たちは終演後に気づくんです。

非常に興味深いことに、稽古と本番で、どのカップルも変わりますね。本番中にもどんどん変わっていきます。

僕が担当したカップルの皆さんは、共通しておっしゃるんですよ。とても興奮なさって、「稽古ではわからないことだらけだったけど、演じ終えた瞬間に感じました。『ラヴ・レターズ』の世界を生きることを理解しました」と。

――終盤、アンディーを演じる俳優さんが涙を止められないシーンをよく見かけました。

そうですね。いつも稽古で必ず伝えるのは「本番で無理矢理に涙を流さないでください」ということ。「アンディー、メリッサという人生をその2時間の中で生きて、自然に出た感情はそのまま舞台で全部、放出してください」ということですね。その開放に至るまでが大切なんです。

台本を読むだけ、この“だけ”のハードルが高い。読むだけで、「丸裸にされて舞台上にポンといた気持ちになった」とおっしゃる俳優がたくさんいました。一番シンプルな感情を持った表現者がそこにいるのだろうと思います。

読むだけ、というハードルの高さは、その俳優がどう生きてきたのか、この瞬間をどう生きていこうとしているのか、を問われること。

その時、もしかしたらお客様も丸裸かもしれませんね。剥き出しの俳優と言葉だけが劇場にあって、それをどう受け止めるか。それほどの生々しさを受け止めきれない方もいるかもしれない。こんなにも感動するのか、と受け止める方もいるかもしれない。

僕も、演劇って素敵だなと思い始めた10代の頃に観た『ラヴ・レターズ』と、歳を重ねてから観た『ラヴ・レターズ』では、ずいぶん受け止め方が違いました。

大学生の自分、俳優になった自分、演出助手になった自分、演出家になった自分…、その都度この作品を観ていますが、同じ演目でもこんなに変わるものかと思うほど、感じ方がまったく違っていて。

お客様にとっても、アンディーとメリッサの50年の往復書簡の中で、ご自身の年齢と重なる瞬間があるでしょう。そこがまた一つの魅力ですよね。

今の自分に出会い、十年後に観たら十年後の自分に出会える。そうやって長く愛してくだされば嬉しいですね。また、十年前にこの芝居を観劇していた自分にも出会えるかもしれません。

――2月公演は一回きりの、本当にスペシャルなものですね。

はい。石川禅さん、彩吹真央さん、ともに『ラヴ・レターズ』初挑戦です。このお二人と2021年の『ラヴ・レターズ』をスタート出来ることが嬉しいです。

アンディーとメリッサがリアルに手紙の交換をした、その最後の年齢にお二人は近いのでとても楽しみですね。ハードルを上げるわけじゃないけど、年齢を重ねている俳優は当然、アンディーとメリッサの人生の多くに、自分の人生を重ねることが出来る。

人生のいろんな価値観を享受した40代以降の人生をどう演じてくださるのか、それと同時に、10代、20代の若い時期、また10歳に至る前をもどう表現されるのか、楽しみです。