アスリートとしての意地とオリンピックに対する愛憎、また男としてのプライドと家族や仲間に対する愛情。その中で、西方の心情にどんな変化が起こっていくのか。
それは映画でぜひ確かめてほしいが、話を戻して冒頭の原田と西方のやりとり。ここで原田は、間の抜けた言いぶりで西方にアンダーシャツを貸してほしいと頼み込む。替えを忘れでもしたのかと、仕方なく自分のアンダーシャツを差し出す西方。今、このときは西方にとって原田は疎ましい存在でしかないが、それでもちゃんと貸す西方の人の良さが愛らしくも切なくもある。
このエピソードも史実に基づくもので、実際、原田選手は西方選手のアンダーシャツ、そしてやはり長野では日本代表に選ばれながらも、団体戦4人のメンバーからは漏れてしまったリレハンメルの仲間・葛西紀明選手のグローブを身に着けて、大舞台に臨んでいる。一方で、映画はさらに人間ドラマに踏み込む。
西方に対して、「お前の気持ちは分かってるつもりだ」と話す原田。その言葉に西方は、「俺の何を分かってるんだよ……!?」とついに自分の感情を爆発させてしまう。ここでの田中の芝居が出色だ。
原田をどこかで憎んでさえいる西方だが、怖がって怯えているようにも見える。また、怒りをぶつけているはずなのに、泣き叫んでいるようにも見える。感情とは、人間とはそういうもの。さらに言うなら、映画とはそういうものだろう。ひとつのセリフから、ひとつの芝居から、ひとつのシーンから、さまざまなものが感じ取れて、浮かび上がってくる。
撮影現場では、そういう芝居だとはいえ、ふたりを囲むテストジャンパー役の俳優陣も押し黙って食い入るように田中と濱津を見つめていた。それはスタッフも同様だ。監督が撮影を振り返って、心に強く残ったと語っていたシーンでもある。
“良い映画にしたい”っていう想い
田中は2月18日、東宝スタジオで行われたジャンプ中カットの撮影で出番を終了。まだ撮影が残っていた山田、このときのために駆けつけたテストジャンパーのキャスト陣に囲まれて、笑顔のアップとなった。
これだけ慕われるのは座長としての人徳もあるだろうが、田中自身がどれたけ本作に情熱と誠実さを持って打ち込んでいたか、周りもよく分かっているからこそだろう。その姿勢と態度が、周りを動かしていく。
「“良い映画にしたい”っていう想いってすごく大事で、僕は今回の作品に限らず、すべての作品で“良い映画にしたい”と思っているけれど、やっぱりチームで作るものなので。チームで全員が良い映画にしたいって思っているかどうか、あとはそうじゃない人が仮にいたとしたら、どこまで“良い映画にしようぜ”っていうテンションを伝染させるか。そういうのが作品作りの前に、チーム作りとして必要だと思っています」。そんなことを現場で語っていた田中。
表舞台に立つ人間で文字どおり英雄ながら、そんな真摯な田中だからこそ映画づくりの舞台裏においても英雄たり得る。
主人公らしくない主人公で、キャラクターではなく、どこまでいってもあくまでひとりの人間。それは田中にも当てはまる言葉に違いない。
『ヒノマルソウル~舞台裏の英雄たち~』は、またこれまでと違う、それでいてこれぞ田中圭という魅力を感じさせてくれる一作だ。
『ヒノマルソウル~舞台裏の英雄たち~』
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