初日から逃げたかった
――役が残る感覚は裕一が特別だったのでしょうか。それとも、他の役でもよくあるのでしょうか。
裕一は多いかもしれないです。例えば、演じたのが歴史上の人物だったりすると、「この人をやらせてもらったな」くらいですけど、裕一は日常の中に重なる場面が多いので。
そもそも“裕一”という人物が、三浦さん自身でもあるんですよね。だから舞台のとき、最初は裕一のことが全然わからなくて「どうしよう」って思っていたんですけど、裕一は三浦さん自身だと思って、三浦さんをよく観察するようになったらつかめるようになったんです。
打ち合わせのときに三浦さんが嫌そうにしていたら、こういう感じなのかなとか。そういう普段の三浦さんとつなげていることもあるし、日常にありそうな場面が裕一には多いので、思い起こす機会も多いんだと思います。
――藤ヶ谷さんの中に、裕一への愛しさのようなものもあるのでしょうか。
愛しさはもちろんあります。あとは一生のうちで基本的に一つの役をやって終わったら、それで終わりじゃないですか。かつ、舞台をやっているときは、もちろんこの映画のお話もなかったので。だから「これで最後だ」と思っていた裕一にまた会えるというのはうれしいですし、舞台が映画化されるという喜びもありましたし、いろんな喜びが相まっています。
ただ「これはうれしい、やってやろう!」と思って、舞台のときの台本を見返したんですけど、そしたらいろいろダメ出しが書き込まれていて……それを見たら「これ、やれるのか?」ってなるという(笑)。だから不思議なんですよね、三浦組はホントに。
――三浦組の撮影はかなり過酷と聞きました。裕一同様に「逃げたい」と思うことはなかったですか。
毎回思っていましたよ(笑)。「自分が裕一だったら逃げられるのに」って。初日から逃げたかったです。だから、逆に逃げられる裕一が「カッコいいな」とも思いました。
――それでも逃げなかったのは?
つまらない責任感とか(笑)。いろいろ考えるじゃないですか。グループのこともそうですし、「このままこの事務所にはいられないだろう」とか、「他の芸能活動もできないし」とか。あとは、例えば1日目に逃げたとして、2日目に現われた時にどういう顔すればいいのかとか。そういうことを考えると逃げない方がいいという、一般的なつまらない考えです(笑)。
ただ裕一も逃げようと思って逃げているわけではなくて、彼なりに真面目に、一生懸命に生きている中で、ふと気持ちがうわっとなってしまうだけで。逃げたら面白そうだなとか、笑いを取ってやろうとか、そういうことを考えていないですから。
どちらかと言うと、裕一の周りにいる人たちの癖がすごい。なので、「それは逃げたくなるだろうな」って、裕一に共感できる瞬間もありました。もちろん反感もありますけど。
――逃げることも選択肢の一つだと?
そうですね。だからもし、自分にも逃げ癖のようなものが付いてしまったらどうなるのかな?とは考えました。この番組には出演してないのに、こっちだけ出ているとか、今日はライブに出ないけど、明日のライブには出るとか(笑)。それはもうダメじゃないですか。だからそれができる裕一をいいな、カッコいいなって思ってしまうこともありました。
人間誰しも思ったことがあると思うんです。「逃げたいな」とか、「行きたくないな」とか。それを裕一は実現しているから、途中から応援したくもなっちゃうんです。「行くところまで行ってこい」って。うらやましい気持ちもありました。