裕一に対しては共感と反感がありました
――裕一はクズだなと思う反面、どこか応援したくなるキャラクターでもありますよね。
舞台のときに演じながら感じていたんですけど、前半はお客さんもだいたい鼻で笑っているんです。でも後半になると会場がシーンとするんです。「これは自分のことかもしれない」とか、思うのかと。だから僕は前半で笑われれば笑われるほど、「この先、知らないぞ」「自分に返ってくるぞ」って思っていました(笑)。
映画の初号試写のときも、不思議なもので現場にいたスタッフさんは一切笑っていなかったんですけど、逆に現場にいなかったスタッフさんはめっちゃ大きい声で笑っていて。こんなにも差があるんだなって思いました。僕も一切、笑えませんでしたね(笑)。
――前半は笑ってしまうんですけど、後半になると裕一と一緒に泣きたい気持ちになることもありました。
きっと裕一自身も自分の気持ちはよくわかってはいないけど、とにかく誠意を見せなきゃ、何かしなきゃって思うんですよね。その気持ちが現れるシーンは、舞台のときもたくさん稽古をしました。「なんか」って言葉を繰り返しながら、何かはわからないけど、何かしなくちゃいけないっていう気持ちがある。それを伝えるために必死になる。そこはすごく大事に演じました。
――「『それは逃げたくなるだろうな』って、裕一に共感できる瞬間もある」ともおっしゃいましたが、具体的にはどんなところですか。
先ほども言いましたけど、とにかく周りにいる人のキャラクターが濃い。久しぶりに会いに行った母親があることで変わってしまっているんですけど、あのシチュエーションはくるものがあると思うんです。ただ母親の側からすると、子供たちが家から出て行ってしまって、寂しさから仕方ないでしょうということで。それが嫌ならあなたが側にいなさいよっていうことになるだろうし。
あとは彼女とケンカをして逃げてしまうとか。逃げたい気持ちは共感できますよね。ただ先ほどの話にもつながりますけど、自分は逃げたあとが大変だから逃げないだけで。
仕事中に嫌だなって思った時、「俺、帰ります」って言えたらとか。自分にはできないけれど、いいな、かっこいいとは思う。そうやって裕一に対して納得できるところはありました。でも自分が逃げられた側だと考えたら、「あいつ、何やってるの?」っていう反感は持つし、最初に台本を読んだときは「何これ?」って思うところもあったし、そういう気持ちが交互にあるんですよね。
演じているときは裕一に寄り添っていましたけど、僕自身、裕一に対しては共感と反感がありました。観てくださった方も、俯瞰的な視点から共感と反感を持つと思うんです。「自分だったらこういうことはしない」とか、「これはやってしまうかもしれないな」とか。そんなふうにいろんな角度からの共感と反感が生まれるのが、この作品を表すパワーワードなのかなって思います。