「諦める自分」が当たり前になってはいけない

こちらの女性は、「おうちデートでは自分の好きな洋画を観ることはできないから、ひとりの時間に楽しんだり自分だけで映画館に行くようになったり、付き合っている意味がないと感じるのが一番悲しかったです」と肩を落としていました。

彼氏にもっと自分の要求を伝えてもよかったのではと思いますが、「話題を振っても興味なさそうに切られてしまう」のが常になるとそれもできず、結局は自分が諦めることで交際が続いていたともいえます。

それを当たり前に受け止めている彼氏に前向きな愛情が育つはずはありません。

「もっと歩み寄れたのでは」と女性は言いますが、「お互いに違いを尊重する気持ちがないと、こちらだけ寄り添ってもそれがまた彼氏の図々しさを助長させる」と筆者は答えました。

彼氏に感じる「図々しさ」は、「彼女なのだから自分の好みを一緒に楽しんで当然」と思っている姿です。それは「俺は観たいものがあるのだけど」と映画鑑賞を拒否する彼女の気持ちを無視する様子でも伝わります。

「自分が観たいから」でそれを受け入れない彼女を否定し、彼女の好きな作品を「つまらない映画」と言い切る姿には、尊重どころか対等とすら思っていないことがわかります。

こんな男性と付き合っていても、女性はいろいろな場面で「自分が諦める」ことが当たり前となり、幸せといえるでしょうか。

相手に諦めてもらうことで自分の要求が叶う交際は、譲歩も妥協もないため片方だけの満足が中心になります。

「言ってはいけない言葉」を怒りに任せて出せる姿に愛情が消えるのは自然なこと、ここで別れて正解だったと筆者は思います。